特集/今、求められる流域治水とは②~海外事例からダム開発と河川管理について考える~世界最大級の中国・三峡ダム~決壊リスク論の先にあるもの

2020年12月15日グローバルネット2020年12月号

早稲田大学 社会科学総合学術院
浜本 篤史(はまもと あつし)

 地球温暖化により、世界全体で豪雨とそれに伴う水害が頻発していますが、欧州では水政策を大きく転換し、洪水対策が進められています。一方アジアでは、主に発電を目的としたダムの建設が進み、自然生態系の破壊や周辺住民の立ち退き・生活環境の悪化など計り知れない影響が及んでいます。
 日本国内での豪雨による被害を例に、今後求められる流域治水と災害対策について考えた先月号に続き、今月号では海外の事例をご紹介し、今後のダム開発と河川管理について考えます。

 

長江洪水とダム決壊の懸念

2020年6月以降、中国中南部の豪雨は各地で洪水被害をもたらした。中国政府によれば、9月2日時点での全国の死者・行方不明者は271人、延べ7,047万人が被災し、直接的な経済損失は約2,143億元(約3兆2千億円)に上るという。

こうした状況下、長江流域の三峡ダムの決壊リスクが取り沙汰された。これらは主にインターネットやSNS上で発信されたが、三峡ダムへの流入水量が過去最大となり、8月22日に水位167.65mに達する頃にはさらに懸念が高まった。

現実には、三峡ダムは決壊することなく現在に至っているが、筆者は、ダム技術の専門的知識を持ち合わせてないので、このこと自体は論じない。ただ、「世界最大のダムが決壊するかもしれない」というセンセーショナルな響きがやや一人歩きしたようにも思われ、一部には、決壊リスクの検証以外に、過去に議論されてきた三峡ダム懐疑論の焼き直しのような論説も見受けれられた。そこでここでは、歴史的スパンの中で今回の決壊リスク論を考えてみたい。

三峡ダム建設までの経緯

三峡ダム構想は実に長い歴史を持つ。1919年の孫文による発案がその端緒だが、戦前の国民党政府による発電計画、新中国成立後の治水計画、いずれもその有効性や実現可能性をめぐって異論があり、大躍進期には長江本流のダム開発か支流を優先すべきかで政治論争にもなった。

改革開放後の1980年代前半には、低水位ダム案が軸だったが、大型船舶の就航を期待する重慶市政府は高水位ダムを主張し、1980年代後半は水位をめぐる綱引きとなった。さらに中国人民政治協商会議では、建設そのものへの批判的意見が提起されるに至った。

これらを受けて、国務院は当時の水利電力部に指示して、計画のフィージビリティについて再検証が行われた。その結果、ダム堤高185m、貯水水位175mの建設案を妥当とする結論が1989年に出されたが、それでも慎重派を説得するに至らなかった。メリットである発電もその費用対効果が疑問視されたほか、生態系への悪影響、敵国の攻撃対象となった際の国防上の不安、文化歴史遺産の保護、さらには100万人超の住民移転問題がクローズアップされる一方、天安門事件と前後して、反対派の出版物が発禁となるなど、政治問題化したのであった。

最終的には、1992年4月の全国人民代表大会でダム建設が決議されたが、承認機関である全人代において出席者の約3分の1が反対・棄権に回ったことは極めて異例で、三峡ダムへの懐疑論が根強かったことを示している。

三峡ダム本体(2017 年4 月筆者撮影)

懐疑論の潜在化と再顕在化

ともあれ、この政治的決定によって、三峡ダム論争に終止符が打たれることになり、1994年の着工を経て2009年にダムは竣工した。しかしながら、潜在的リスクが解決したわけではなく、むしろ中長期的なモニタリングに持ち越されることになったといえる。環境面に限っても、巨大ダム湖の出現によって誘発される地滑りや地震、砂礫の堆積、さらに気候変動によっては、洪水調節機能それ自体への影響も危惧される。また、水流遮断による水質悪化や、下流域・河口部での生態系変化なども中長期的な検討課題である。

ダム着工以降も、これらの問題に警鐘を鳴らす議論がなかったわけではない。だが、政府の立場を慮る忖度や情報統制もあってか、社会問題化するには至らず、構想段階で噴出していた懐疑論は潜在化していったといえる。

そうした中で、今回の洪水を機に、決壊リスク論とともに論じられたのが三峡ダム事業そのものへの懐疑論であった。三峡ダムは巨大な開発事業の複合体であり、住民移転や地域開発などダム機能そのものにとどまらない側面を持つが、決壊リスクとは直接関係ない、こうした側面へ「飛び火」したような論評も散見された。それは、かつてリスクとして挙がっていた論点とほぼ似通っており、くすぶっていた懸念の再顕在化といえるものである。

根底にある不信感

さて、今回の決壊リスクをめぐって、人々の認識や心理について素朴な疑問がある。緊急放流による下流被害ではなく、逆流によるダム湖上流域の氾濫でもなく、また前兆としての漏水でもなく、ただちに堤体が崩落するような決壊リスクに注目が集まったのはなぜだろうか。もちろん、各地での洪水被害や長江の流水量からイメージした直感的な恐れもあるだろうが(リスクの過大評価という認知バイアス)、ここには別の要因――政権や政府に対する不信感も介在しているように思われる。

これら不信感を醸成する要因は多様だろうが、流域住民のなかには「役人は汚職まみれで、まともに仕事していない」といった認識をベースとして「手抜き工事をしているに違いない」という思考回路を辿り、ダムの決壊可能性が信ぴょう性を持ったかもしれない。

Google Earthでの湾曲したダム堤体画像、三峡ダム決壊シミュレーション動画、さらに水利部幹部による「ブラックスワン」(ごく稀にしか起きないが、発生すると大惨事となる現象)の可能性を示唆した発言などはさまざまな憶測を呼んだが、これらがダム決壊の「エビデンス」となったのは、以上のような不信感がベースになっているのではないか。であれば、政府や事業者が懸念打ち消しの声明を出しても、「本当のことは隠蔽しているだろう」とさらに疑心暗鬼を増長させることになる。

このような不信感や警戒心は、中国国内の一般の人びとの認識に潜んでいるだろうし、日本を含む海外メディアにもある。そしてそうした見方は、しばしば確証バイアスとなりやすいが、この確証バイアスは三峡ダムがもつ政治的バイアスと裏返しの関係にある。

公害や地球温暖化をめぐる議論では、政府や事業者が、科学的にもっともらしい装いを身にまといながら、特定の主張やキャンペーンを意図的に展開することがある。三峡ダムの安全性は政治経済的に重要な意味をもっていることから政治的バイアスがかかりやすい。この二つのバイアスが絡み合いながら、何が正しいのかを見極めるのはいっそう困難になる。

まなざしの変化

ダム建設が構想されるときに、直近の大規模な停電、渇水による給水制限、洪水被害といった出来事が大きな契機になることはよくある。あるいは、これらの出来事によって、既設のダムの評価が左右され、政策が変更されることもあるだろう。

日本においても1950年~60年代のダム建設は近代的土木事業の叡智として賞賛されたが、1990年代半ば以降は「ムダな公共事業」とみなされることが多くなった。そうした潮流のなかで近年では、逆の動きもみられる。2019年の豪雨では、八ッ場ダムの役割が推進派によって強調され、今年また球磨川洪水によって、凍結されていた川辺川ダムが再び動き出そうとしている。これらは、事業への認識が、ある年の洪水によって書き換えられる現象の一つとみることができる。

今回の決壊リスク論を機に、三峡ダムに対する見方は、政府、事業者、専門家そして一般の人びとのあいだで変化していくだろうか。潜在的リスクに対する対応が活性化するだろうか。それとも、今後数年、洪水が発生しなければ忘れ去られてしまうのか。事業へのまなざしは、長期的スパンの中で揺れ動いていくことを念頭に、今度の推移に注目していきたい。

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