日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第49回 イワシの生き餌を供給してカツオ一本釣りを支える―千葉・館山

2021年04月15日グローバルネット2021年4月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

房総半島最南端の野島崎(千葉県南房総市)で太平洋の日の出を拝んだ。さらに東に進んで料理の神様である千倉町高家たかべ神社まで足を伸ばすと、反転して時計回りに房総フラワーラインを進んだ。途中に洋画家、青木繁が代表作「海の幸」のヒントを得た布良布良めら海岸を過ぎ、目的地の館山港へ。まき網漁を営む有限会社「寅丸」の代表取締役の鈴木勝也さんを訪ねた。カツオ一本釣り用の生き餌にするイワシ(マイワシ、カタクチイワシ)を漁獲するだけでなく、他の鮮魚も捕るユニークな「二刀流」の経営。生き餌の供給量は日本一、日本伝統の一本釣りを支えるとともに地元の雇用にも貢献している。

●生き残りかけ新業態へ

カツオの一本釣りでは、カツオの群れに生きたイワシを投げ入れ、集まったカツオを一気に釣り上げる。東京湾の入り口にある館山港は生き餌イワシの供給地で、県外のカツオ船団が生き餌を船に積み込んで漁場に向かう。その中には弊誌昨年3月号で紹介した高知の明神丸も含まれている。

鈴木さんによると、九州から三陸まで太平洋のカツオ一本釣りの漁場の近くに生き餌を調達する餌場がある。関東では館山のほか、浦賀、下浦、佐島(いずれも神奈川県)があるが、漁船員の高齢化や経営コストの上昇などのため十数社ある生き餌業者は十分な漁獲を得られず、ほとんどを寅丸が供給しているという。

鈴木さんが代表を務める寅丸は中型まき網漁船が2船団、2019年に設立した株式会社タイガには同1船団の計3船団がある。船団は網船(本船)や運搬船、探査船など5~6隻で編成。沿岸、沖合で操業し、生き餌は3~8月にかけて供給、10~2月は鮮魚を捕る。操業区域は東京湾とその周辺で、鮮魚と生き餌の漁獲高はおおまかに半々の割合だ。鮮魚はアジ、サバ、マイワシ、タチウオ、ブリが多く、1日の水揚げが5,000万円になることもあるという。

生き餌は安定供給することがポイントであり、イワシを漁獲する能力と生かしたまま販売するノウハウが必要だ。以前は捕ったイワシの3分の1から半分も死んでいたが、生存率を大きく改善した。「生かしておく」技術は「暴れないようにする」で詳細は企業秘密となっている。昨年は平年の倍以上の2,400tと過去最高の漁獲があった。生き餌の需要がなければ水揚げして煮干しなどの加工原料にする。

●高校生に人気の就職先

寅丸の創業者は曾祖父の鈴木寅蔵氏。法人化した初代社長の貞治氏、二代目で父の久雄氏(館山漁業協同組合組合長)に次いで2008年に社長に就任したのが三代目の勝也さん。漁労長17年の経験があり、社長になって3年目に運搬船を購入して船団を編成。生き餌に鮮魚を加えて経営を2本立てにしたのだ。

「先代は生き餌だけでやって来ましたが、それでは先行きが見通せず、生き残るための決断でした」と、鈴木さんは語る。

生き餌だけだと4ヵ月間は漁を休むが、一年中操業すれば、休漁期間の漁船員給与の最低保証をする必要がなくなり、漁船員も収入が目減りすることがない。

経営の大転換となり、それまでの漁船員は半数が船を降りたため、若い漁船員を採用してきた。

沿岸漁業を取り巻く経営環境は厳しく、資源の減少や魚価の低迷、燃料費や人件費の上昇などによってコストが大きくなっている。こうした逆風下でも、寅丸とタイガは積極策が功を奏して、関東地域での生き餌のシェアは2008年の20%から90%へ大きく拡大した。

タイガは現在、網船「18大河」(19トン)を新造中だ。それによって新たに船団を増設する計画で、中型より操業範囲が広くなる大中型まき網漁船として登録するという。ただ、一般的な大中型に比べると、かなり小型である。ましてや海外まき網船のような巨大な船とは別物といっていい。こうしたダウンサイジングの船団構成は、機動力があって小回りがきく経営を意識したもので、かつてない斬新な経営スタイルに業界の注目が集まっているという。

新しい経営で収益が増えれば漁船員に分配するように努めている。寅丸の高給が評判となり新聞などで報じられることもあった。「地元の高校生が就職先として寅丸を志望し『ぜひ寅丸に乗りたい』と言ってくれます」と鈴木さんは喜ぶ。2社で合わせて40人(外国人技能実習生ら4人を含む)を雇用しており、今度さらに安定的に増やしたいという。

大中型まき網漁に触れておくと、日本の漁獲全体の2~3割がこの漁法によるもので、漁業資源への影響は大きく、TAC(漁獲可能量)制度などの資源管理が行われている。現在、寅丸はカツオやマグロを漁獲することはないが、今後タイガの船団が太平洋沖で操業すれば、カツオやマグロも網に入っていることが予想され、一本釣りへの配慮が問われるかもしれない。

まき網漁では多くの種類の魚が捕れるため、それを有効かつ収益につなげる方法も鈴木さんの頭をよぎる。市内には首都圏からの客が多い市の施設「“渚の駅”たてやま」などがあり、消費者を対象にするBtoC(Business to Consumer)の観点から地元の海産物として売り出す余地は十分にありそうだ。

●「ふれあい市場」改築も

鈴木さんのインタビューを終え、寅丸の船団が係留されている市北部の船形ふながた港へ向かうことにした。途中、館山市役所農水産課の千原秀樹さんに会って館山市の漁業の説明を受けた。「寅丸さんは別格の存在です」と前置きしながら、環境の異なる外房と内房には定置網が小型4ヵ所、大型1ヵ所あり、他に刺し網や、サザエやアワビを捕る素潜りがあるという。

船形漁港

船形は古くから漁業が盛んで、江戸時代には干鰯(ほしか)や薪などを江戸に送る廻船業でも栄えた。近くの大福寺には「崖の観音」と呼ばれる磨崖仏がある。観音堂の本尊である十一面観世音菩薩は、養老元年(717年)に行基が地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に彫刻したと伝えられる。

崖観音

船形はカツオ船への生き餌供給の発祥の地でもある。「昭和の時代には10軒あった業者が平成には3軒に。令和になると寅丸だけ」と鈴木さん。船形港に着くと、保管庫のような建物や漁船に丸に寅の字が描かれ、網船の「第11寅丸」、「第17寅丸」の頼もしい姿があった。かつてはカツオの荷さばき施設もあったというこの県営漁港は、館山漁協直営の「ふれあい市場」が休業中であり少々さみしい。だが、ふれあい市場改築や荷さばき施設設置など、漁港整備が計画されているという。東京から直通となるバイパスの整備も進んでおり、近い将来、再びにぎわいが戻ってきそうだ。

こうした船形の歴史を思えば、館山出身のYOSHIKI(X JAPAN)が作詞作曲した「Forever Love」にある「時代とき の風が…」という歌詞の一節に気付いた。時代を超えた船形の変貌を見てみたい。この曲は防災行政無線で市内に流れるオルゴール、館山駅の発車メロディーで親しまれている。

船形漁港に係留されている網船

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