フォーラム随想動脈と静脈

2021年09月15日グローバルネット2021年9月号

日本エッセイスト・クラブ理事
森脇 逸男(もりわき いつお)

夏の間、半袖のシャツを着ていた。当然、自分の腕が目に入る。決して頑丈とはいえない細腕の、あまり日焼けしていない皮膚面に、幾筋か浮き出しているのは、青色の静脈だ。

昔、中学校あたりで習ったと思うし、皆さんも先刻ご承知のはずだが、人間の血脈には動脈と静脈があり、動脈は血液を心臓から全身の各組織に送り出す血管で、全身の各組織から心臓に戻って来る血管が静脈だ。

動脈は、外からは見えないが、手首の親指側に別の手の親指を当てると、力強く脈打っているのがはっきりとわかる。栄養分や酸素をたっぷり含んだ新鮮な血液を、心臓の鼓動で全身の細胞に届くように送り出してくれ、我が生存を支えていてくれると思うと、感謝に耐えない気になる。

一方、静脈は、これもまた動脈に劣らぬ、あるいは動脈以上にも重要な役割を果たしているといっていい。体内にたまる不要有害な老廃物や二酸化炭素を回収して、せっせと運び出してくれているわけだ。もし静脈がストライキを起こせば、われわれはたちまち自家中毒を起こして、倒れてしまうのではないか。

さて、動脈は心臓の鼓動の圧力で血液を身体の末端まで届くようにさせるが、静脈にはそうした鼓動も圧力も無い。それでも静脈血が心臓に向かって戻るのは、別の3種類の圧力のためだという。

 

その圧力はまず、心臓の収縮だ。新鮮な血液を送り出して収縮している心臓が、再び元の形に戻ろうとして、静脈内にたまっている血液を吸い込んでくれる。そのほかにも、筋肉の収縮による「骨格筋ポンプ」や「呼吸ポンプ」というのがあって、身体中の静脈の中の血液がすべて無事に、心臓に送り戻されることになるのだという。

ということで、人間の場合は、血液が本当に精密に体内を循環するように出来ている。そこでちょっと気になったのは、さて、我が人間の社会、ことに国家の運営は、果たしてこの人間の身体のように、諸問題がスムーズに循環できているかということだ。

考えてみると、例えば政治の世界など、気になることが結構多い。民主政治で、衆議院、参議院から、都道府県、市町村の首長、議員まで選ぶのは、われわれの一票であり、選ばれた人は当然、われわれの考えを酌んでいろいろ政治活動をしていただけるはずだ。ところが、どうもそうでもないケースも多いようだ。つまり庶民に「静脈血」が戻って来ない。

選挙民は、選ばれる首長や議員、国の場合は総理大臣や各閣僚に対して、当然一応の期待を持つ。言って見れば、動脈が血液を送るように、為政者に対していろいろ期待し、注文する。

 

さて問題は、選挙民が期待を込めて懸命に送る「動脈の血流」に対して、為政者からの返信である「静脈の血流」は、果たしてきちんと流れ戻ってくれているかどうかだ。

就任早々に日本学術会議の新会員6人の任命を拒否した今の総理大臣は、その後もオリンピック・パラリンピックの中止論などには耳も貸さず、念仏のように「国民の生命と健康を守る」と繰り返すばかりで、その具体策には触れようとせず、ついにはあっさり退陣。その前任の長期政権総理には「桜を見る会」や「森友学園問題」など、不可解なことがいろいろあった。どうやらわが国の政治では、この重要な動脈→静脈の流れが断ち切られているようにも思える。

まあ世界に目を移せば、クーデターで政権を奪取、反対デモの国民に容赦なく銃弾を浴びせて大量虐殺したミャンマーの国軍、女性の人権などまったく念頭に無いアフガニスタンのタリバンその他、国民の声などどこ吹く風といった国も軒並みだ。それに比べれば、今われわれが平和な日本で生きていられるのは本当に感謝すべきことなのかもしれないが、でもやはり、動脈から静脈への流れは太く自然でありたいものだ。

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