21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第49回 気候変動問題の深刻さと研究者の役割

2021年09月15日グローバルネット2021年9月号

武蔵野大学教授、元環境省職員
一方井 誠治(いっかたい せいじ)

明日香教授の「グリーン・ニューディール」

本年6月に標記の岩波新書を上梓された明日香壽川先生は、東北大学東北アジア研究センターおよび同大学院環境科学研究科の教授です。私自身は、大学卒業以来、環境庁(省)を中心に行政の場におりましたので、明日香教授に直接お会いしたのは、2005年に神戸税関から京都大学に移り、当時、植田和弘京都大学教授が会長を務められていた環境経済・政策学会に参加させていただいた時以来だったと思います。学会が毎年開催する年次大会では多くのセッションが同時開催されるのですが、明日香先生は、いつも精力的な研究を携えて気候変動対策関係のセッションに出ておられ、研究者はもとより産業界や環境NGOなどの立場の異なる主張がぶつかり合う議論の場で、データをきちんと踏まえた冷静な議論を展開しておられることに感銘を受けておりました。

今回、明日香先生から送っていただいた新著を通読し、明日香先生がもともとは、東京大学大学院の農学系研究科の微生物利用学研究室におられ、留学先のスイスの実験外科医学研究所では、動物の免疫反応に関する研究をされていたことも知りました。

前置きが少々長くなりましたが、そのような幅広い研究背景を持たれているからこそ、本書において「気候危機をもたらした社会システムをチェンジし、コロナ禍からのリカバリーとジャスティスの実現を果たす」という大きなテーマについて、説得力のある議論を展開されているのだと納得した次第です。

本書の構成と特長

本書は、序章(コロナ禍からの回復 ~環境も経済も正義も)と終章(現世代と未来世代の豊かさと幸せをめざして)の間の6章で構成されており、①科学から政治へ、②政治への期待と幻滅、③エネルギー革命に乗ろうとしない日本、④グリーン・ニューディールの考え方および具体的内容、⑤日本版グリーン・ニューディール、⑥グリーン・ニューディールの課題、という構成になっています。

第1章および第2章では、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の1.5℃特別報告書などにも触れつつ、気候変動問題の深刻さと人類に求められる対応の厳しさについて改めて述べるとともに、わが国の立法や行政による対応の問題点が浮き彫りにされます。次いで、第3章では現在世界的な潮流となってきているエネルギー革命に、日本がなぜ乗ろうとしていないかという理由が、原発問題も含め切れ味鋭く具体的に示されます。第4章では欧米を中心に進んできているグリーン・ニューディールのそもそもの考え方についてわかりやすくまとめています。次の第5章は、本書の中核ともいえる部分で、明日香先生の研究チームが独自に計算し、本年2月に公表した「2050年カーボンニュートラルのためのロードマップ」が紹介されています。第6章では、私も本連載第46回(2021年3月号)でご紹介した斎藤幸平氏の「脱成長コミュニズム」についての論評も含め、グリーン・ニューディールそのものの持つ課題について論じています。

前述したように、明日香教授と私は、もともと環境問題に係る研究者と行政官という異なる立場におりましたので、当然、歴史的に展開されてきた気候変動に関する同一イベントにおいても、見える世界が違っていたことは否めません。しかしながら、本書に豊富に記載されている明日香教授の個人的な体験のエピソードを読むと、なるほどなるほどと、自分の経験に照らしてふに落ちることが多くありました。

まとめると、本書の特長の一つは、なぜ国際社会が、そして何よりも日本が、気候変動問題への真正面からの対応を行い得ていないかという理由を、通常の研究者の枠を超えて、きわめて率直に語っているところにあります。

本書のもう一つの特長は、目標は宣言したものの、現在、日本政府自体がまだ明確に描けていない2050年温室効果ガス排出実質ゼロの具体的な政策ロードマップとその経済影響等を示したことにあります。

私も含め、気候変動問題について危機感を持ち、現在の立法や行政対応に批判的な研究者やNGOは多く存在し、それぞれの立場で改善の提案等をしているのですが、それに対する批判の矢面に立つことも覚悟の上、2050年までの包括的な政策ロードマップを具体的に示すことは学問的にも大変意義のあることであり、かつ勇気のあることと思った次第です。

本書で述べられている内容のポイント

ここからは、私なりに理解し、共感した本書の内容のうち重要と思われるところをいくつか順不同で簡単に要約してみたいと思います。

気候変動問題やこれにも関連するコロナ問題でより多くの被害を受けるのは、相対的に弱い立場にいる人びとが多いという意味で、正義(ジャスティス)の問題であり、これを解決していくためには、個人の努力だけでは不可能で、社会システムの変革が必要。

その社会システムの変革を阻んでいるのは、化石燃料や原子力に係る産業等、既存のシステムで利益を得ている者とそれによって支えられている政治という要因が大きい。ただし、欧米において、気候正義等の市民レベルのさまざまな運動が起こってきており、新たな政治への期待と機運が高まりつつある。

原発は温暖化対策のカギという主張はフェイクであり、再生可能エネルギーに比べて原発は既に経済合理性がなくなっている。それでも原発が日本で廃止されない背景には、核兵器の開発可能性による核の抑止力を持つという考え方があるが、そもそも核を持つことによる核抑止力が有効かどうか自体明らかでない。

本書で提案する2050年カーボンニュートラルのロードマップの主な目標数値は、二酸化炭素の削減目標が、2030年に1990年比55%減(2013年比61%減)、2050年に同93%減(従来技術のみ、新技術の実用化を想定すると100%減)、2030年までに原発はゼロ、化石燃料は60%減、2050年には化石燃料はゼロ、再生可能エネルギーは100%。

これらに要する投資額は、2030年までに累積202兆円、2050年までに累積340兆円。一方で経済効果は2030年までに累積205兆円、雇用創出数が2030年までに約2,544万人、エネルギー支出削減額が2030年までに累積約358兆円であり、二酸化炭素の削減と経済との両立は可能である。

斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』の現状分析はおおむね正しいが、「電気自動車への代替で二酸化炭素の排出量は減らない」との主張と「再エネに投資すると経済成長は困難になる」という断定等については、気候変動・エネルギーの専門家として、異論がある。ただ、あえて「資本主義」を全面に出して、根本的な問題にメスを入れた点は評価されるべきと考える。

気候変動問題の深刻さと研究者の役割

本書のあとがきで明日香教授は、2000年のオランダ・ハーグでの気候変動枠組条約第6回締約国会議(COP6)の決裂の記者会見の場面を目撃したエピソードを紹介しています。ちょうどその時、私は環境庁地球環境局の企画課長を務めており、交渉の結果についての現地からの報告に一喜一憂していたことを思い出しました。この時も含め、明日香教授は、研究者として多くの関連国際会議の場に実際に参加され、単に論文を読み論文を書く研究者ではなく、行動派の研究者であることを改めて知りました。とくに、2017年に石炭火力である仙台パワーステーションの操業差し止め請求訴訟に原告団事務局長として参加し、関係する訴状や準備書面も自分で書いたということに衝撃を受けました。

私自身も気候変動問題の深刻さと現代社会の持続可能性への大きな懸念を持っており、少しでもその状況を改善できれば、とこれまで行政の場や教育研究の場で努力してきたつもりだったのですが、明日香教授の奮闘ぶりを知るにつれ、自分はこれで良いのだろうか、もっとやることがあるのでは、との思いを持ちました。

タグ:,