フォーラム随想感動する心はどこへ

2021年10月15日グローバルネット2021年10月号

(一財)地球・人間環境フォーラム 理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

東京オリンピック・パラリンピックは、開催を巡って世論が分裂する中で行われたが、私は、テレビで競技を見ることはあまりなかった。

コロナの流行のもとでの開催ということよりも、商業主義に染まっていることが嫌だった。オリンピックによって金もうけをしようとする組織や企業、人間が跋扈する姿は、オリンピック精神から程遠い。

さらに東京大会の運営の中心的な役割を担った人たちの人権意識の欠如が、私の関心をさらに遠ざけた。人権問題をライフワークとして活動する私にとっては、見逃せない酷すぎる言動の続出だった。オリンピックは、スポーツを通して世界の人権を向上させることが目的であるのと、まったく逆行している。

仮にこのような事情がなかったとしても、最近、年齢を重ねるにつれ、物事に感動することが少なくなってしまった。老化現象だろうか。

 

実は前回の1964年の東京大会もテレビで競技を見ることはなかった。菅前総理は、国会の党首討論でこの時の大会での「東洋の魔女」や柔道無差別級金メダリスト、ヘーシンクの活躍などの思い出を熱く話した。

しかし、当時の私は、家庭の事情やそれに原因する私の健康悪化で出口の見えない暗闇の中で苦悶していた。オリンピックを楽しむゆとりなどなかった。思い出したくない暗い青春の一場面とオリンピックが重なり合ってしまう。

 

少年時代は、周りの子どもと同じようにオリンピックに興味を持っていた。

記憶にある一番昔のオリンピックは、1952年のヘルシンキ大会である。戦後初めて日本が参加し、体操やレスリングの選手が活躍し、少年の心を躍らせた。

5年前にヘルシンキを旅行した際もまずオリンピックのことが頭に浮かんだ。現地で通訳をお願いした日本人の男性も、ヘルシンキ大会の成功を話してくれた。簡素な大会で、当時使用された施設は、現在も使用されている。

第2次世界大戦の反省に立って平和の大切さを実感させ、オリンピックの精神が高らかに掲げられた大会だった。

 

若ければ若いほど好奇心が強く、純粋な気持ちで感動する。感動することが人間を成長させる。

幼稚園在籍中のころだった。母が商談のために、能登半島の田鶴浜という小さな町に出掛けた時に私を連れていった。私の家があった富山県高岡市から汽車を乗り継いで2時間以上はかかっただろうか。戦後の復興途上で交通は不便で、幼い子どもには負担で退屈だった。母は途中で沿線名物の「あんころ餅」を買ってくれた。小さい丸い餅にあんこをつけただけの素朴なものだったけれど、「こんなおいしいものが世の中にあったのか」と感動した。

これですっかり元気になり、車窓から見える晩秋の能登の風景は、美しかった。

14年前に石川県の団体から講演会の講師に招かれ、七尾市で講演した。半世紀ぶりに七尾市に合併された田鶴浜を通ると、昔の記憶がよみがえってきた。

 

高齢になると感動することが減少することは寂しいことだ。何に接しても既視感がある。裏事情が見えてしまう。過剰な演出は鼻につく。年齢を重ねるにつれ、こんなことがつい頭に浮かんでしまい、興ざめになる。

しかし、この年齢になっても感動することはある。人の純粋な優しい心に接したときだ。

重い障害を持つ自分の子どものために、ありったけの愛情を注ぎ込む母親の姿を見ると、いつも感動し、涙ぐむ。児童相談所の昨年度の児童虐待対応件数は、20万件を超えたが、同じ親の行為とは思えない。

どうやら私の感動の対象は、変わってきたようだ。

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