日本の沿岸を歩く~海幸と人と環境と第55回 漁業者の声が連携生んだ「網走川流域の会」―北海道・網走

2021年10月15日グローバルネット2021年10月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

このシリーズで3年ぶりの北海道の取材先は、網走からオホーツク海沿いに宗谷岬を越えて小樽まで(今月号から6回連載)。6月中旬、帯広から車で東に向かうと北の大地の牧草地は爽やかな緑で、甜菜(サトウダイコン)畑などの景色が広がった。途中の摩周湖は若き日の初訪と同じく『霧の摩周湖』(布施明が歌った曲)だった。網走へ到着すると、網走港にある網走漁業協同組合に向かった。新谷哲也組合長が会長を務める「網走川流域の会」を詳しく知りたいと思ったからだ。流域の会は海・川・森の環境問題に取り組んでおり、漁業者だけでなく、農業者や市民、行政、経済、教育など幅広いステークホルダー(利害関係者)による活動が高く評価されている。

●魚種多く豊かな北の海

網走市は知床半島の西に位置し、市内を流れる一級河川網走川は全長115㎞。源流の津別つべつ町から順に美幌びほろ町、大空おおぞら町、網走市の1市3町が流域に含まれ、約8万人が暮らす。網走市内には川の途中にある網走湖のほか、能取湖のとろこ濤沸湖とうふつこ藻琴湖もことこの湖がある。沿岸部は網走国定公園の一部になっているし、内陸部には森や農村地帯が広がる自然豊かな地域。秋には河口から2㎞ほどの場所で遡上するサケ(シロザケ)のダイナミックな捕獲作業を見ることができる。刑務所のイメージとは異なる網走の素顔が見えてくるようだ。

網走漁協はサケやカラフトマス、スケトウダラ、マダラ、ホタテガイなど多彩な漁獲がある。沖合底引き網や刺し網などの漁法も多様。高級魚キンキ(標準和名キチジ)をはえ縄漁で捕っているのはここだけで、「つりきんき」は網走漁協の登録商標である。藻琴湖と濤沸湖(いずれも汽水)でのシジミ漁も盛んだ。

市内にあるもう一つの漁協である西網走漁業協同組合は網走湖(汽水)と能取湖(海水)で操業している。網走湖ではシジミ漁のほか、シラウオ漁やワカサギ漁もある。能取湖はホタテガイのほかホッカイシマエビが有名だ。網走、西網走の2漁協によるワカサギの受精卵は全国の湖沼に出荷されている。

網走川河口にある網走港

網走川について新谷さんは「上流には十勝に次ぐ農業地帯があります。畑の土砂流出、化学肥料による水質汚染など、漁獲に直結するリスクを抱えています」と漁場である海や湖沼の課題を語る。

網走川の環境悪化を強く印象付けたのは2001年9月、台風による濁流が網走湖や河口付近に押し寄せたときだった。シジミ、ホタテガイなどに大きな被害が出た。漁業関係者らは強い危機感を持ち、2漁協と網走市が協議会を設立して調査すると、上流で農地が大規模に崩落していることがわかった。

新谷さんは02年に漁協の環境保全対策を考える役員になると、「農地崩落の防止や川の保全などについては、農業者の理解と協力が欠かせない」と考え、流域の農協を回り、理解と協力を求めた。

「農業者と漁業者が軋轢を生んでいる例は多くありますが、けんかをしているだけでは解決しないのです。お互いの立場を理解し、歩み寄り共に繁栄する方法を見出さねば」と新谷さんは振り返る。

だが、それまで農業者は、ほとんど漁業者と交流がなく、漁業に対する関心も低かった。そんな中で、源流である津別町の農協が賛同の声を上げた。有機飼料を与えて高品質の牛乳を生産しようという酪農家たちが、家畜ふん尿による水質汚染対策にも取り組み始め、00年に津別農協内に「津別町有機酪農研究会」を設立していた。中心人物の山田照夫さんらとの交流が深まった。研究会は後に全国初となる有機畜産物オーガニック牛乳の認定を取得し、注目される。

その後、網走漁協、西網走漁協、津別農協の3者による「農業・漁協連携フォーラム」(09年)を開いた。さらに2年後、「網走川流域農業漁業連携推進協議会」の設立にこぎつけた。

取材に同席していた網走市水産漁港課長の渡部貴聴さんは「漁業者と農業者が手を携える大きな足掛かりになりました」と当時を振り返って評価する。

●行政と連携し活動拡大

やがて行政とも連携した活動は広がり15年、「網走川流域の会」が誕生した。網走、西網走の2漁協、津別農協を軸にして市民、行政、企業、研究機関、各種団体などが横断的に集った。事務局は津別農協に置かれた。情報発信、人的ネットワークの構築など積極的に活動している。発足当初は補助金を充当していた活動資金は会費で補っている。一斉清掃活動(コロナ禍で中止になったが通常は400人が参加)や流域体験学習ツアーなど次世代につながる内容となっている。

流域の会の活動に並行して行政も環境対策に力を入れてきた。北海道は崩落対策や河川改修などの対策を進めており、環境改善の効果が出ている。

北海道では農業振興を目的に河川の大規模公共工事が進められ、水はけをよくするための直線化を行い、川底に傾斜をつけてきた。そうした効率優先の自然改変を見直し、生態系を重視する「近自然工法」を採用。川を蛇行させ、瀬や淵を造成するなどの改修工事を続けている。日本の近自然工法の専門家、福留脩文ふくどめしゅうぶん氏(1943~2013)が施工指導をした。

新谷さんらは農地崩落、河川や湖沼への土砂流出を防ぐ施策を求め、農林水産大臣や環境大臣へ直接要請もしてきた。当初、農業者と漁業者の取り合わせが珍しがられた。20年2月には北海道開発局、1市3町の首長、北海道、林野庁が網走川流域における対策への「取り組みビジョン」推進を宣言した。

●経済活動と環境共存を

環境への取り組みの一方、新谷さんは本業の漁業についても将来を見据えた経営を目指している。「サケの定置網漁では186人を一団体にまとめて協業化しました。他の魚種でも協業化をしたいと思います。自然の恵みである水産資源を効率よく収益につなげ、漁業者の生活を守りたいですね。経済活動と環境はWin-Winの関係にあるべきなのです」と言葉に力がこもる。

人口流出を食い止めるために「地元に戻ってくる若者がいるので、漁業や地域の魅力をしっかりアピールしたい」という。冬季には流氷に港が閉ざされて1~3月は漁がないため、漁業者は旅行や趣味など好きなことに没頭できるという。労働はきついかもしれないが、魅力的な働き方ではなかろうか。

インタビューで聞いた網走漁協や流域の会の考え方や熱意に大いに共感した後、新谷さんに港を案内してもらった。防波堤灯台には「流氷の天使」といわれるクリオネの絵があった。流氷観光で知られる流氷砕氷船「おーろら号」はこの灯台のそばを通るはずである。

クリオネが描かれた防波堤灯台

続いて網走川を上流に向かうと、網走刑務所が見えた。近くにある博物館網走監獄はコロナ禍で見学できなかったが、北海道開拓の礎になった囚人たちに思いをはせた。北海道を舞台に感動的なラストシーンが記憶に残る映画『幸福の黄色いハンカチ』で高倉健演じる元受刑者がいたのも網走刑務所。極寒の大地と千態万状の人の生きざまが交差する場所のようだ。

網走川の標識と網走刑務所(後方)

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