持続可能な社会づくりの模索 ~スウェーデンで考えること第3回 質の高いサービスか、ワーク・ライフ・バランスか ~持続可能な労働環境を考える

2021年11月15日グローバルネット2021年11月号

ルンド大学 国際環境産業経済研究所 准教授
東條 なお子(とうじょう なおこ)

 

労働者が無理なく勤労を続けられる生活環境ー持続可能な労働環境ーは、持続可能な社会の根幹の一つといえる。今回は、利便性や質の高いサービスの追求と、いわゆるワーク・ライフ・バランスの取れた持続可能な労働環境づくりの関わりについて、スウェーデンでの生活の中で、時に戸惑い、時に憤りつつも筆者が徐々に体得してきたことを基に書いてみたい。

閉店時刻前に消灯を始める店

スウェーデンに住み始めて10年近くは、もろもろのサービスの悪さに頭にきたものだ。例えば、電話会社の請求書が間違っていて顧客サポートに電話をしたときのことだ。電話対応の順番待ちで、1時間近く受話器を持ったまま待たされた揚げ句、苦情を述べると、コンピューターの故障中で筆者の利用・サービス状況が調べられないから、またこちらからかけ直すよう言われた。会社側のミスの件でかけた電話で1時間待たせた上に客の方から再度電話? とあぜんとした。また、閉店時刻の10~15分前になると消灯を始めたり、日によっては早く閉めてしまう店が少なからずあるのにも驚いた。スウェーデンではスーパーやショッピングセンターを除くと平日の営業時間は午後6時まで、土曜日は午後2時まで、日曜日は休み、というところが多い(ここ10年ほど、郊外のショッピングセンターに対抗するため、平日や土曜日の営業時間を1~2時間延ばす町中の商店が増えてきたが)。そこで、平日の勤務後あるいは土曜日の限られた時間に買い物をすることとなり、なんとか間に合うように都合をつけて店に行くのだが、閉店時刻になっておらず、まだ客が商品を見ているのに、消灯を始める店もあるのである。

そして、このような話を周りのスウェーデン人にしても、憤りや驚きを共感してくれることは少ない。

日曜日の昼下がり(午後2 時半)のルンド。商店の立ち並ぶ通りは閉まっている店も多く、この日は薄晴れだったにもかかわらず人通りはほとんどなかった。

「スウェーデンは7月は閉まる」

欧州諸国の例に漏れなく、スウェーデン人も、とくに夏、休暇をしっかり取る。「スウェーデンは7月は閉まる」という言い回しがあるほどで、製造業は操業を停止し、個人の商店は数週間休みになるところが多く、公共サービスもこの時期は対応が遅くなる、と前もって言われる。保育園も学童保育も、夏の数週間は休みになる。

この、週単位での休暇を取ることに慣れるまで、しばらく時間がかかった。日本で働いていた頃は、週末プラス1日、という形で休みを取っても、とても長く休んだ気分になり、また、それで十分気分転換できると思っていた。だから、スウェーデンに来ても、長期休暇を取る必然性が体感できず、休暇は冬の日本への一時帰国時等にそれなりに取ってはいたものの、よし、夏だ! 5週間休みだ! といった感覚はなかった。ある友人から、「休みを取って1週間くらいは、まだ仕事から完全に離れ切れないから、完全に仕事から頭が離れて休むためには数週間は必要だよね」と言われ、「うーん、私は仕事から休みへの切り替えにそんなにかからないけど…」、と思ったのを覚えている。

休暇は労働者の獲得した権利

一つの転換点は夏の予定について話していたときに言われた別の友人の一言だった。「この夏は休暇をいつ取るの?」と聞かれ、「うーん、来週末と…」、といった返事をしていたら、それまで笑って話していた友人に真顔で、「休暇は労働者が培ってきた権利なんだから、きちんと取らなきゃだめよ」と言われたのだ。この、「休暇は取るべきもの」という感覚はスウェーデンに住み始めてまだ2~3年だった20年ほど前の筆者にはなく、ある意味衝撃的だった。

スウェーデンの労働者の法定有給休暇日数は、フルタイムで雇用されている場合年間25日で、労働組合と雇用者との合意でそれに多少上乗せされた日数を取れることも多い。筆者の勤務するルンド大学では、年齢によって上乗せが増え、40歳以上の場合35日である。筆者の職場では、人事担当者から休暇申請を毎年春に促される。教員の場合、別途申請しない限り、夏至祭のある6月後半の週末以降、有給休暇の日数分が自動申請され、別途申請した場合も、1年のどこで有給休暇を取るか4月末までに申請するように促される。

正直なところ、有給休暇のすべてを休日として使えているわけではなく、そのうち少なくとも数日は働かなければ仕事が回らない人が大半であり、休めないとわかっているのに、ある意味雇用者側が義務を果たしたという体裁を整えるために休暇申請を促されるのは問題である。ただ、休みは取るべきもの、そして、休暇中の人の休みは仕事より尊重されるべきで妨害してはいけない、という社会的合意があることは確かである。

ワーク・ライフ・バランスの尊重とサービス・利便性

この「休みは取るべきもの」「労働者の勤務時間外の休みは尊重されるべき」という社会的合意は、労働者がいわゆるワーク・ライフ・バランスの取れた生活を送る上で肝要であると思う。週末や休暇中はもちろん、ウィークデーの勤務時間外も、同僚から仕事関係の電話がかかってくるのは、よほどの緊急事態が発生したときに限られる。また、夜遅くまで仕事をすることになることは間々あるが、それは「当たり前のこと」とは決して思われていない。夜遅くのメールの発信が何日か続いたりすると、上司からも同僚からも仕事量が多すぎるのではと心配される。それが仕事量の軽減に直接つながるわけではないが、長時間労働が当然視されていないことは精神的負担の軽減にはなる。

そして、冒頭の、いわゆるサービスの悪さも、実は労働者のワーク・ライフ・バランスの尊重につながっていると思う。電話会社の例はさておき、店員が閉店時刻前から消灯を始めるのは、定刻に店を閉め、帰宅を含めた仕事以外の活動に移行したいからである。そのような行為にスウェーデン人が概して否定的な反応をしないのは、意識的かどうかにかかわらず、同じ労働者としての店員の勤務時間外の生活を尊重しているからではないか。つまり、労働者のワーク・ライフ・バランスの尊重が、サービスの質や利便性のある程度の低下につながっても、市民、そして社会全体が、前者により高い価値を見出し、その状態を良しとしているように思う。

期待値をどこに持ってくるか~社会の選択

日本に一時帰国すると、店も夜遅くまで開いているし、利便性が高くサービスも行き届いていることが多く、筆者もその恩恵にあずかっている。一方で、滞りないサービスの維持の裏にあるもろもろの仕組みを機能させ、また仕組みに滞りがあった場合の埋め合わせをしていくことが、長時間労働、時間外勤務、無理な勤務体制等々、労働環境の劣化にもつながっているのではないかと思う。他方で、スウェーデンの、ある程度サービスが悪くても許容される、という傾向は、労働者の労働時間内の勤労の質やプロ意識の低下といった弊害ももたらしているように思われ、それが、例えば冒頭の電話会社の職員の対応がまかり通るような状況にもつながっていると思う。

持続可能な労働環境づくりには、一市民、またその集合体である社会全体が期待し求める利便性やサービスの質のレベルのみならず、夫婦間の役割分担、職場での性別や国籍に基づく差別の有無等、いろいろな要素が影響する。社会を構成する一市民として何をどの程度求め、どのような選択をするのか、そして、生まれてくる弊害をどのように克服していくのか、それぞれの社会で考えなければいけない課題かと思う。

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