特集/国境を越えた自然保護~世界の平和構築を目指して戦争と環境破壊~ロシアのウクライナ侵攻から考える

2022年12月15日グローバルネット2022年12月号

京都大学名誉教授
松下 和夫(まつした かずお)

 世界各地で今、領土や希少な自然資源を巡って紛争が続いています。自然災害と異なり、戦争は人類が引き起こす悲劇であり、平和の鍵を握るのもまた人類です。例えば、南米のエクアドルとペルーは、長年にわたり「コンドル山脈」の領有を巡って領土紛争を繰り返しましたが、1998年に紛争地域を両国の自然保護区に指定することで合意しました。自然保護をてことして領土問題を解決した人類史上、初めての事例です。
 紛争とは無縁と思われがちな日本も、隣国との領土問題を抱えています。一朝一夕の解決が難しい問題ですが、自然保護を巡るさまざまな国際協調が「予防的平和」に貢献している事例は多数存在します。今回の特集では「国境を越えた自然保護」をテーマに、環境の視点から、平和を実現するためのアイデアや事例を共有します。

 

戦争によるウクライナの環境被害

2022年2月24日にロシアがウクライナ侵攻を開始して以来、すでに多数の人命が失われ、人道上の深刻な被害が生じている。加えて、この戦争による甚大な環境被害が懸念される。まさに戦争は最大の人権破壊であり、環境破壊である(関連の論考は、拙著『1.5℃の気候危機』参照)。

驚嘆すべきことに、ウクライナ環境保護・天然資源省のチームは、戦闘開始後の最初の数時間以内にオフィスに集結し、戦争が始まった最初の日から、環境被害の記録を開始している。国の環境検査官はすでに200回以上、環境犯罪の現場で証拠を採取し、EcoZagrozaという専用のアプリを通じて2,200件以上の環境被害を報告している。

ゼレンスキー大統領は2022年11月8日、エジプトで開催中の国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)にビデオメッセージを寄せ、ロシアによるウクライナ侵攻が地球温暖化対策の妨げになっていると非難し、「平和なくして効果的な気候変動政策はない」と訴えた。そして「ロシアの意図的な行為でエネルギー価格が急騰し、多くの国が石炭火力発電の再開を強いられた」と指摘し、世界の食料危機を招いたほか、「6ヵ月足らずでウクライナの森林約200万ヘクタールを破壊した」と主張している。

ウクライナ政府の専門家を含む国際研究チームがまとめた報告によると、ロシアのウクライナ侵攻を原因とする温室効果ガスの排出量は、今年2月から約7ヵ月の間に二酸化炭素換算で少なくともほぼ1億トンに達し、オランダが同期間に排出した量に相当するという。

環境保護・天然資源省のエフゲニー・フェドレンコ副大臣は、ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)のフォーラムにおいて、戦争開始以来の8ヵ月間で、ロシア連邦の侵略によるウクライナの環境への損害は、370億ユーロ以上と推定されると報告している。

さらに憂慮されるのは、原子力発電所への攻撃である。ウクライナには1986年に史上最大の原子力発電所事故を起こした旧ソ連のチョルノービリ原発があり、現在も国内に稼働中の15基の原発がある。15基もの原子炉が稼働している国での軍事行動は、前例のないリスクをもたらし、ウクライナのみならずヨーロッパ全域の自然環境と人びとの健康を何世代にもわたって危険にさらす可能性がある。

ロシアのウクライナ侵攻当初、国内の原子力発電所が攻撃目標となり砲撃が加えられるという前代未聞の事態が発生した。チョルノービリ原発はロシア軍により一時占拠された。東部のザポリージャ原発はロシア軍により攻撃され、現在もロシア軍の管理下にある。もしこれらの原発が破壊され、放射性物質が放出すれば、欧州全域をはじめ世界に放射性物質が拡散してしまう。原子力発電所は軍事的攻撃の標的とされることを想定していないので、健康や環境に対する計り知れないリスクがもたらされる恐れがある。

戦争による国内・国際環境ガバナンスの危機

戦争の長期的悪影響として、環境ガバナンスの崩壊が危惧される。紛争が起きると、国や地域、地方政府は対応に追われ、環境プロジェクトは中止される。

ロシアによるウクライナ侵攻により、欧米諸国や日本では、軍備を増強する動きが加速している。その結果、今後さらに大量の化石燃料が燃やされ、温室効果ガスの排出量が増えてしまう。喫緊の課題である気候変動から関心がそらされ、将来の気候政策に悪影響を与える可能性がある。まさに国際環境ガバナンスの危機が生じる。

ロシアのウクライナ侵攻は、世界経済が石油とガスに大きく依存をしていることを露呈した。同時にそれがロシアの戦争遂行の資金源にもなっているのである。西側諸国はロシアからの化石燃料供給の代替手段を求めて奔走しているが、その多くはさらに汚染度の高いエネルギー源に傾いている。

例えば欧州連合(EU)は、ロシア産ガスの一部を米国で採掘された高排出ガス「フリーダムガス」に置き換えることを計画している。また、ドイツなどがエネルギー危機に対処するために石炭火力利用を延長しようとしていることから、化石燃料の固定化を懸念する声もある。

改めて問われる気候安全保障

気候変動による影響により、洪水や熱波などの異常気象が頻発し、それが世界各地の社会や経済に深刻な影響を与えている。その結果、すみかを追われ避難民(環境難民)となる人びとも増え安全保障上の懸念が高まる例も増えている。世界各地には対立と緊張がまん延しているが、気候変動はこれを一層エスカレートさせる。

気候変動と国家の安全保障を結び付ける考え方は気候安全保障(climate security)と呼ばれる。気候変動はさまざまな自然災害を増やし、社会や経済に大きなダメージを与え、これが国同士の対立をエスカレートさせてきた。これまでも自然環境の悪化が軍事衝突をエスカレートさせる一因になることが確認されている。

化石燃料からの早期の脱却が鍵

ロシアのウクライナ侵攻は、化石燃料への依存を終わらせることの重要性と緊急性を示した。ロシアのウクライナ侵攻と、ウクライナ支援国に対して、ロシアの石油・ガス資源を武器として圧力をかけたことによって、化石燃料資源を巡る激しい紛争を浮かび上がらせたからである。

このような状況下のエネルギー安全保障の正攻法は、化石燃料の消費量を早急にできる限り減らすことだ。そのためには、供給面では再生可能エネルギーの拡大、需要面ではエネルギー効率化・省エネルギーのより一層の推進が、最も有力な手段だ。再生可能エネルギーは、限界費用ゼロで、枯渇せず、価格高騰や供給不安は起こりにくい。小規模分散型の利用が基本なので、災害時でも強靭で地域経済循環にも寄与する。

このような観点から、欧州委員会では2022年5月18日、ロシア産エネルギーからの脱却と温暖化ガス排出削減の目標達成に向けた「リパワーEU」計画の詳細を公表している。「リパワーEU」計画は、再生可能エネルギーの大規模な普及、エネルギー効率の改善、石油・ガスの調達先の多様化を提案し、2027年までに2,100億ユーロ(約29兆円)規模の追加投資を行う見通しだ。また、欧州連合は電力消費量削減目標の強化にも合意している。

注目されるのは、再生可能エネルギーの大規模な普及だ。欧州委員会は昨年、電力供給における「再生可能エネルギー」比率を2030年までに40%に目標を引き上げたばかりだが、これを45%に引き上げた。この達成に向け、新築の商業・公共施設では2026年までに、新築の住宅では2029年までに太陽光パネル設置を義務付け、風力発電所などの建設承認手続きの大幅な短縮化を行う。さらに、2030年の「グリーン水素」の生産目標を1,000万トンに引き上げた。一方、エネルギー消費量の削減に向けた効率化にも取り組む。2030年までのエネルギー効率の改善目標は、昨年打ち出した9%から13%に引き上げた。

ドイツでは2022年4月6日に再生可能エネルギー拡大関連法によって30年までに総電力消費量の少なくとも80%以上を再エネとすることを決めた。

ここで想起されるのは国際環境法センター理事長のキャロル・マフェットの次のような言葉だ 。「石油とガスが気候危機に拍車をかけているように、ロシアのウクライナ侵攻は、化石燃料がいかに世界中の紛争に資金を供給し、扇動し、長引かせているかを示している。化石燃料に依存し続けることは、地球の気候と世界の平和を不安定にするものだ」。

日本の石炭火力維持・原発回帰路線は、脱炭素化に寄与しないばかりか、地球の気候の安定化や世界の平和の確保に逆行するものではないだろうか。

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