フォーラム随想もう一度行きたい

2023年01月16日グローバルネット2023年1月号

(一財)地球・人間環境フォーラム 理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

 十一月中旬、日帰りで京都に出張した。覚悟はしていたけれども、平日にもかかわらず、街は観光客であふれていた。全国旅国支援の効果である。長い間旅行ができなかった反動が見られる。
 最近、毎週1回は仕事で地方へ出向くようになった。仕事ではあるけれど、電車に乗ったり、知らない土地に接すると、開放感を味わえる。もちろん難題を抱えての出張だと、気が重い旅になる。
 昭和四十四年に旧厚生省に勤務して以来、仕事で数多く出張した。これに加えて五十歳くらいからは講演の依頼を受ける機会が増えた。国家公務員を辞めてから十六年以上たつが、その後も講演に招いていただく。
 現職の国家公務員であれば、肩書ゆえだが、退官後私個人に着目していただいて講演の場を与えていただいているだけに主催者の期待を裏切るわけにはいかない。緊張するけれども、どんな場合でも入念に準備をして臨む。
 行きの電車や機中では、頭の中で講演で話すことを繰り返し練習する。車窓を楽しむ余裕はない。
 しかし、講演が終われば、特に聴衆の反応が良かったときは、肩の荷が下り、旅行を楽しみたい気分になる。ここで一泊して観光を楽しめばよいのだが、主催者に要求していると取られかねないので、実際はしない。短い滞在になるが、それでもその土地の空気を味わい、思い出が重ねられてきた。

 

 この年齢になると、しばしば昔を懐かしく思い出す。もう一度行ってみたいと思う土地がある。出張で訪れた土地では北海道中頓別町、山形県米沢市、岐阜県高山市等々と数えてみると、次々と浮かんでくる。
 五十年前に山村振興対策の仕事をしていたので、個人的に滅多に行けない山深い土地を訪れることができた。当時は道路が未整備の山地が多く、崖の下に転落するのではと心配になる細い砂利道もあった。ようやく電気が使えるようになったとか、谷水で生活しているという家などもあった。テレビの人気番組の『ポツンと一軒家』よりも世の中の発展からずっと取り残されていた集落だった。
 静岡県水窪町も山村の一つである。岐阜県との県境にある町で、現在では浜松市に合併されている。そこで町長が民話を載せた薄い冊子を渡して、幻の池を紹介してくれたことを鮮明に記憶している。七年ごとに水が満たされ水深4メートルの池が現れるという。中央アジアの消えた湖として有名なロプノールが思い出された。
 町長が話してくれた池にまつわる民話も興味深かった。竜神が南の御前崎岬の近くから諏訪湖へ向かう途中にこの池に立ち寄り、休憩するという。また南北朝時代に城主の姫にまつわる悲話がこの池に関連して伝えられていた。
 水窪町は、今もスギの美林で知られているが、歴史が古く、たくさんの伝統芸能が残っている。大きな神社や城もある。再訪したい町である。

 

 近くの韓国、台湾、マレーシアなどであれば、行ってみたいが、機中泊の伴う長いフライトは、自信がなくなった。
 でもイギリスだけは、無理をしても家族で一月は滞在する予定で訪れたいと思っている。都合二回、四年間、三十代に家族でロンドンで過ごした。私たち家族にとって人生の中で最も楽しかった時である。仕事も充実し、家族で一緒に過ごす時間もたっぷりあった。イギリス国内やヨーロッパ各地と旅行をすることができた。
 家族でイギリスを訪問し、若い頃に過ごしたハムステッドやゴルダスグリーンの町を歩いてみたい。私たちが住んだ家はどのようになっているのだろうか。イギリスのことだからきっと昔のままにあるに違いない。『E.T.』を見た映画館はどうなっただろうか。日曜日に家族で昼食をよく食べたピザのお店はどうか。
 こんな目標を抱きながら、その日に備えて足腰の強化トレーニングに余念がない。

タグ: