21世紀の新環境政策論 人間と地球のための持続可能な経済とは第57回 「公害」の記録と記憶をどう未来に伝えるか

2023年01月16日グローバルネット2023年1月号

京都大学名誉教授
松下 和夫(まつした かずお)

時の流れとともに過去の記憶は薄れ、記録は散逸していくのが世の習わしである。しかしながら忘却の彼方に捨て置くにはあまりにも重要な出来事が世の中にはある。

戦争や災害そして疫病など、人類の歴史上の「負の遺産」とも称すべき経験については、できる限りその記憶を集め、記録を整理して後世に教訓を伝えることが古くからの知恵であった。

環境問題や環境政策の文脈から考えると、日本の第二次世界大戦後の高度経済成長時代に多発した深刻な産業公害の記憶や記録はまさにそのような対象となる。ところがこのような産業公害を同時代で経験した人々はだんだんと少なくなってきている。大学などでの学生諸君の反応を見ても、気候変動など地球環境問題には関心があっても、四大公害は教科書に記載されていたモノクロ写真のような、歴史上の出来事との受け止め方が過半のようである。このままでは公害の記録と記憶は風化する一方であり、これらをどう現在の世代が継承し、未来の世代に伝えていくか、という課題に直面している。

「公害資料館ネットワーク」の活動

このような課題に正面から取り組んでいるのが「公害資料館ネットワーク」の活動である。

同ネットワークは、全国各地の公害資料館が核となり、公害に関する学びの協働を図るべく、2013年12月7日に結成された組織で、現在水俣病センター相思社・水俣病歴史考証館、北九州市環境ミュージアム、公害地域再生センター(あおぞら財団)、(公財)水島地域環境再生財団(みずしま財団)など26 の施設や組織が参加し、事務局はみずしま財団に置かれている。

このネットワークは、「各地で実践されてきた「公害を伝える」取り組みをネットワーク内で共有して、多様な主体と連携・協働しながら、ともに二度と公害を起こさない未来を築く知恵を全国、そして世界に発信する」ことをその協働ビジョンとしている。

筆者は2022年11月末に、環境再生保全機構の地球環境基金助成事業の評価活動の一環として、岡山県倉敷市の水島臨海工業地帯にある「公害資料館ネットワーク」の事務所を訪れる機会があった。そこでみずしま財団の林美帆さんなどにお話を伺うことができた。

水島臨海工業地帯は、現在も稼働するコンビナートだ。コンビナート内外を案内してもらうと、その巨大さに圧倒される。総面積はおよそ2,500haにも及び200を超える事業所が林立する、日本を代表する重化学コンビナートだ。立地企業は石油精製・鉄鋼・石油化学・重化学工業・機械・食品工業など多岐にわたり、岡山県の中核的工業地帯として、また全国的にも有数の巨大工業地帯としてのその存在感を示している。今日ではその夜景を巡るツアーが人気のデートスポットにもなっているとのことである。

水島臨海工業地帯では、かつておびただしい公害門題が発生し、多くの人命や健康、豊かな自然環境や歴史・文化が損なわれていった。その後、国の公害健康被害補償法によって、水島を中心とした地域は公害地域として指定され、1975年から1988年までの間に、4,000人近くの人が公害患者として認定された。他方、1983年には、公害患者らが、コンビナート企業8社を被告に訴訟を提起し、13年の係争の末、1996年12月、和解が成立した。和解の中で「水島地域の生活環境の改善のために解決金が使われる」ことが両者で合意され、その和解金を基金として「みずしま財団」が設立され、公害地域再生に取り組んできた。そして、住民と行政・企業など、水島地域のさまざまな関係者と専門家が協働する活動を継続してきたのである。

SDGs(持続可能な開発目標)につながる公害体験からの学び

私たちは日本の公害経験から何を学んできたのだろうか。それには深刻な環境破壊の意味するもの、かけがえのない自然の恵みと生命の貴さ、企業の社会的責任や行政の役割、市民運動の大切さなどが挙げられる。公害教育で取り上げられたこれらの視点は、その後のESD(持続可能な開発のための教育)やSDGsに通じる部分が多い。また、環境の持続可能性のみならず、社会的な公正や人権の尊重などの課題にもつながる。

しかし、公害発生時から50年近く経過した今日、公害を直接体験した世代が少なくなり、公害をイメージできない世代が多数派となっている。

また、公害の情報は四大公害裁判があった地域などに集中しており、その他の公害の被害にあった地域では情報の風化が著しく、公害の経験を共有することが困難になってきている。

こうした状況を踏まえ、「なぜ今公害を学ぶか」を市民、とりわけ若い世代に訴求するためには、気候危機やSDGsなどの課題との関連付けも必要でもある。公害被害体験という「困難な過去」や「負の遺産」を振り返ることにより、人権や平和、環境などの普遍的価値を浮かび上がらせることができるのである。

公害資料館ネットワークでは、毎年公害地域での連携フォーラムを開催し、学校・企業での研究会の開催、情報発信、パネルの貸し出しなどの活動を継続している。

2021年12月に長崎大学で開催した公害資料館連携フォーラムでは、「環境と平和の重なりを考えよう」がテーマであった。そこでは平和学習の蓄積を公害教育側から学ぶために、長崎の原爆資料館および国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館、長崎の証言の会などの原爆被害者運動の団体との連携を図った。分科会では、公害学習と平和学習に係る両者が議論し、環境と平和の重なりを考える場となった。

2021年10月には、公害学習の入門書となる『公害スタディーズ』を刊行している。これは公害資料館ネットワークをはじめ、日本環境教育学会で議論してきたことをまとめたものであり、この書籍の刊行によって、公害教育の普遍化の作業が進んだと評価できる。

進展する学術的研究

公害資料館ネットワークの活動と連携して、公害に関する負の遺産についての学術的研究も進められている。

『環境と公害』第50巻3号では、「公害資料館の現代的意義と課題」が特集され、これまでの公害資料館ネットワークの活動などの成果が整理された(この号に掲載された論文は以下のとおり。清水万由子「公害経験継承の課題―多様な解釈を包むコミュニティとしての公害資料館」、林美帆「公害資料館ネットワークにおける協働の力」、清水善仁「公害資料の収集と解釈における論点」、安藤聡彦「教育資源としての公害資料館―アウトリーチに胚胎する未来」、除本理史「困難な過去」から「地域の価値」へ―公害経験の継承をめぐって」、藤原園子「倉敷市水島における環境学習のまちづくり―公害資料館づくりに向けて」、川尻剛士「水俣病を語り継ぐ朗読活動」)。

除本氏は、多くの犠牲を伴った公害事件は、戦争、自然災害、大事故などと同様に、その「困難な過去」の「歴史」をどう解釈し意味付与をするかという点で、難しさを抱える、という。解釈の視点が立場によって異なり、それらの間の分断や対立が生じ得るからである。他方、「困難な過去」の意味を反転させ、積極的価値に転換することによって、過去の解釈を巡る住民の分断状況を緩和し、地域発展の方向性について議論するきっかけを作り出すことができることも指摘している。

現在これらの成果を基に、英文書籍の発刊準備が進められており、国際的な情報発信も期待される。

おわりに

公害の経験を次世代に継承すべく全国の公害資料館が緩やかに連携する公害資料館ネットワークの設立から8年が経過した。ネットワークを構成する公害資料館の運営主体は公立・民間・大学など多様で、それぞれ立場が異なる。また運営を担うのは、公害を知らない世代となっており、異なる背景、立場、手法を持つ人たちが集い、公害地域再生を目指す「学び」が中心のネットワークを作っている。引き続き、学びの中で常に視野を広く社会に向け、他分野との交流も深め、社会的課題の解決のアプローチを模索し、公害経験の継承を広く社会に訴えかけていくことを期待したい。

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