日本の沿岸を歩く海幸と人と環境と第70回 マグロの町を行動力とユーモアで活性化ー青森県・大間

2023年01月16日グローバルネット2023年1月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

八戸を夜出発。翌早朝から日本三大霊場の一つである恐山、下北半島の東先端にある尻屋岬などを巡った後、西に進んで大間を目指した。マグロの一本釣りが有名で、魚市場での高額落札やマグロと格闘する漁師の映像など、話題には事欠かない。マグロの知名度を生かした「まちおこしゲリラビジネス」を掲げる(株)Yプロジェクトの事務所を訪ねた。出会った代表取締役の島康子さんは、熱い地元愛とパワフルな行動力を持つ「マグ女」(マグロ女子、後述)だった。

●高額落札がニュースに

津軽海峡は日本有数のクロマグロ(本マグロ)の漁場。一本釣りやはえ縄で大間漁業協同組合が捕る「大間まぐろ」は2019年、東京・豊洲市場の新春の初競りで278㎏のマグロに3億3,360万円の史上最高値が付いた。2021年に大間漁協に割り振られたクロマグロ漁獲量の上限は約260t。抜群の品質と知名度なのだが、この年、大間漁協の漁獲量未報告が指摘された。近年、漁場が変化して本来の大間沖でなく太平洋で漁獲量が増加したことなどが背景にあり、青森県や大間漁協は不信を払しょくするために産地表示の適正化に取り組んでいる。

この問題の動向を気にしながら、大間漁港に近い事務所を訪ねて島さんに会った。

大間崎の「マグロ一本釣りモニュメント」

島さんは大学進学で東京に出て、卒業後も東京にとどまり(株)リクルートに勤務。家業の製材会社を継ぐために17年ぶりに大間に戻ってきた。都会暮らしを経て古里に帰ってみると、自然や人情の濃さが新鮮だった。目覚めた大間愛をホームページ「ひみつの本州最北端」で発信し始めた。

大きな転機が訪れたのは3年後の2000年。大間を舞台にマグロ漁師の娘を主役にしたNHK朝の連続テレビ小説『私の青空』で、大間は一気に全国的に知られるようになる。島さんは町おこしの絶好の機会と捉え、有志と「まちおこしゲリラ集団あおぞら組」を結成。大間―函館を結ぶ津軽海峡フェリーの乗客に大漁旗を振って「よぐ来たのー!」と出迎え、「へばの~!まだ来せよ~!(それじゃあね!また来てねー!)」と見送った。文字通りゲリラ的な奇抜な行動が人気となり、高校生や町職員などが加わって地元に連帯が生まれた。島さんは、あおぞら組のホームページでロケ地情報や裏話、自分たちの活動、大間町の魅力などを発信して大間を盛り上げた。

「マグロ一筋」のロゴが入ったTシャツ(大間では「テーシャッツ」)を作ると、地元だけでなく全国から注目された。大漁旗を再生したバッグやハンチング帽など次々にPRグッズを製作、販売した。

クロマグロの方も朝ドラの翌年に高値に火が付き、大間には多くの観光客が押し寄せてきた。だが当時、マグロを食べる場所もほとんどない状態。そこで島さんらは地元を巻き込んで観光客の呼び寄せに動き始めた。商店街の協力を得たマグロ祭、毎週日曜日のマグロ解体ショー、マグロ漁師の生活ぶりを知りマグロ料理を堪能する「オーマの休日」、マグロ一本釣り漁ウォッチングなど観光サービスを次々に立ち上げた。

あおぞら組の収益活動は13年、持続可能なビジネスとするために株式会社「Yプロジェクト」設立へ進化した。Yは代表取締役になった島さんの康子の頭文字である。

●海峡越えてマグ女集結

町おこしはさらに津軽海峡エリアへも拡大、北海道新幹線開業を前に14年「津軽海峡マグロ女子会」を立ち上げた。泳ぎ続けるマグロのように元気な「マグ女」たち。旅館の若女将、カフェのマダム、旅行会社プランナー、観光案内スタッフなどメンバーは90人ほど。青森県側のまとめ役を島さんが務める。

2016年からは「海をつなぐ寄り道旅~マグ女のセイカン(はーと)博覧会」を実施している。青函をセイカンと表記するところがマグ女の性なのか…。コロナ禍で2020年以降は縮小あるいは休止しているが、コロナ終息後は再開する予定だ。

18年にはマグ女の妹分「八戸(「はづのへ」と読む)サバ嬢」も仲間入りした。翌年のポスターを見ると、歴史、ヨガ、グルメ、鉄道旅など28のイベントや体験プログラムを紹介。同時多発的に展開するプログラムの中には「マグ女と野獣がおくる『みそぎの町』木古内町」や「大間マグ女と過ごす、マグロまみれの『オーマの休日』」などコンセプトとユーモアを上手にネーミングしている。島さんは「新幹線を動脈とすると、私たちがやっているのは毛細血管」と、地域を元気にする使命感を説明する。

活動は遠く関門海峡にも飛び火し、山口県下関市の「ふく女子会」との交流では、同市内のホールでふく女VSマグ女のトークバトルが繰り広げられた。

地元の高校生も参加するフェリーへの旗振り歓迎は現在も続いている。島さんは大間の将来を担う若い世代が郷土に誇りを持ち、力強く生きてほしいと願いながら「漁業の町なのに、子供たちの魚離れ、海離れが進んでいます」と不安を募らせる。そこで2021年から日本財団「海と日本プロジェクト」の一環として、揚げ魚メニューの普及を通じて、海の豊かさを未来につなげる活動に力を入れている。

「理屈こねる前に、まんず動け!」と訴える島さんは、わくわく感を大切にする現場主義者に見える。行政の支援に頼らないYプロジェクトの自立した活動がこれまでの持続的な発展の理由のようだ。

Yプロジェクトの事務所

●絶景の下北半島を走破

島さんから集中講義のような説明を聞いた後、オフィスの販売コーナーで「マグブリ」を購入した。「マグロ一筋」イラスト入りの真っ赤ブリーフである。身に着けるとなぜか元気が出てきそうだ。

オフィスを後にすると大間崎へ。本州最北端の観光スポットにある一本釣りモニュメントは、1994年に釣り上げられた440㎏の超大物がモデルだという。沖に目をやると海と空の間に北海道の島影が見える。大間の現役マグロ漁師が作詞し、福田こうへいが歌う『一番マグロの謳』の迫力を感じる。周辺には土産物店やマグロ料理の店が連なり、観光客が散策していた。

筆者は「ここまで来たら残る半島西側も見なければ」と、大間崎から建設途中の大間原発そばを過ぎ、海峡ライン(国道338号線)を走った。景勝地の仏ヶ浦がある佐井村はかつて北前船の寄港地として栄えたという。カーブとアップダウンの道の運転に津軽海峡と津軽半島の絶景が伴走する。特産のヒバが育つ森林では北限のニホンザルの母子に遭遇した。来訪者を夢中にさせる自然や歴史の魅力が尽きない。

地元では「当たり前」のことでも、Yプロジェクトなら「火付け役」あるいは「触媒」になって魅力を可視化し、経済価値に変えていくだろうと思った。

やがて半島巡りの終着点とした、むつ市に入った。大湊の海上自衛隊大湊地方隊基地、田名部の斗南となみ藩史跡は時間が足りずに訪問ならず。戊辰戦争で敗れ廃藩となった会津藩から再興し、ここに入植した斗南藩の歴史探訪は次の機会にしよう。

大間の漁船

タグ:,