ホットレポート世界自然遺産5地域会議

2023年04月14日グローバルネット2023年4月号

屋久島環境文化財団 理事長
小野寺 浩(おのでら ひろし)

国内の世界自然遺産5地域が連携を強化

2005年に環境省を退職した後、東京大学や鹿児島大学を経て、2014年から屋久島環境文化財団の理事長を務めている。この度、2023年1月18日、世界自然遺産5地域の関係22市町村、知床、屋久島の2財団が屋久島に集まり、「世界自然遺産5地域会議」が発足した。2021年には、難産の末奄美沖縄の4島が新たに登録されて、わが国の自然遺産は5つとなった。屋久島の登録30周年、5つ目の自然遺産登録という大きな節目を契機に、5地域が連携を強化し自然保護を巡るさまざまな課題に対応していこうとするものである。

「5地域会議」の活動の第1段階として、大阪・関西万博で発表するための事業メニューや提言をまとめ、同時に万博という場において、「共生」や「環境文化」という日本型自然保護のスタイルを世界に向けて発信する絶好の機会としていくことを考えている。

世界遺産条約は、傑出した自然と歴史的文化財を、人類の遺産として後世に残していこうというものだ。あるがままの自然と人間がつくった文化財を、後世に引き継ぐべきものとひとくくりにしたところに斬新さと知恵があった。私が環境庁(当時)に入る前年の1972年に条約が採択されていたが、日本が加入したのは1992年、先進国では最後であった(オランダはいまだに不参加である)。20年遅れて条約に参加した先進国日本から世界に送るメッセージとは、欧米型の厳正保護ではない自然保護、自然と暮らしが共生する自然保護の思想である。

日本型自然保護とは、①暮らしと自然保護を「両立」させるという理念、②「地域性」という土地所有にかかわらず利害調整をしていく「仕組み、計画、制度」であり(日本の国立公園がこの典型)、③自然遺産地域の中で実践してきた具体的工夫、事例の「モデル」、である。これらは、今後経済発展を目指さなければならない発展途上国への大きな示唆、先例となると思われる。

欧米の保護地域では、原則として生活、生産活動を認めない

国内「第1号」から30年

屋久島は1993年12月に世界遺産に登録された。日本の第1号である。この時同時に、自然遺産として白神山地が、文化遺産として姫路城と法隆寺が登録された。

当時はまだバブルの余韻が残り、屋久島においてもゴルフ場計画が2つ進行中であるなど、自然保護には強い向かい風が吹いていた。またこの時点で、世界遺産条約はほとんど誰にも知られていない。屋久島島民の受け止め方は結局新しい規制強化であり、いずれ木を1本も切れなくなるとの不安感さえ漂っていたのである。

1990~93年にかけて環境庁から出向していた鹿児島県では1990年に県施策の長期指針である総合基本計画を作り、重点事業の一つとして「屋久島環境文化村構想」を掲げていた。屋久島の優れた自然に着目した、新しい地域づくりの試みである。1991年4月29日鹿児島市で、この構想を具体化するための第1回委員会が開かれた。そこで一人の委員が「世界遺産条約というものがある。屋久島をその第1号にしてはどうか」と発言した。担当課長だった私としては、正直ぼうぜんとした。国際条約はまさに国の業務であり、また、条約締結には国会の承認が必要だったからである。しかし、言われたからにはやるしかない。知事と2人で外務省などを陳情して回った。哲学者の梅原猛さんなど、委員の強力な応援もあって1992年6月に国会承認、1993年12月には登録が実現した。委員の発言から登録まで1年8ヵ月という猛烈なスピードであった(奄美沖縄自然遺産は、政府が3ヵ所の候補を決定した2003年から登録まで、18年かかっている)。

なお、この委員会では世界遺産の他、「共生」と「循環」という理念や、「環境文化」という新しい概念が提案されている。

行政が作る構想、計画にとって最も重要なことは、作られた計画への地域住民および関係者の合意である。合意こそが計画の実質的担保となる。そのためには徹底的な議論を尽くすことが必要であり、完全な情報公開が求められる。屋久島が曲がりなりにも成功したと言えるならば、それは①日本を代表する有識者、②県内の専門家、③島民のみ、という構成の3つの委員会を作り、それらをすべて公開で行ったことが大きく預かったと思われる。①の有識者委員会は毎回200~300人の聴衆が集まった中で開催され、県庁の一部局の委員会としては異例なことに、知事も全会出席した。

世界遺産人気は沸騰して世界遺産登録を求める地域が続出し、屋久島には観光客が押し寄せることとなった。この当時の問題意識は、①新しい地域づくりのモデルをつくる、②20年遅れて参加した日本から世界に向けて新しいメッセージを送る、③屋久島を突破口にして、奄美大島ややんばるなど南西諸島の森林保護につなげていく、という3つであった。

早くも30年が過ぎた。実現できたこと、課題のまま残されてきたことがある。屋久島では、島内純生産は倍増し、人口減少も横ばいないし漸減にとどめることとなった。一方、経済効果は観光客増による偏ったものであり、地場産業への波及効果は不十分なままである。また、観光客は縄文杉に、しかも夏休みと5月の連休など数十日間に集中しているのが現状である。世界遺産地域で、登山者が数珠つなぎで登る姿はいかにも異様であり、し尿処理、踏圧による自然破壊も見られるなどの弊害もある。

世界遺産5地域の「両立モデル」を国内外に発信

30年を契機に、世界遺産によるメリット、デメリットを精査し、もう一度原点に返って新たな取り組みを始めるべきだというのが「5地域会議」の狙いである。5つの地域は、それぞれさまざまな苦労と工夫を重ねてきた。これらを整理、分析して自然保護と地域振興の「両立モデル」をつくり上げ、2025年開催の大阪・関西万博などを通じ国内外に広く発信していく。また当面のテーマとして、世界自然遺産5地域こそが持続可能な開発目標(SDGs)の学習、企業研修に最適であることを強くアピールしていきたい。

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