21世紀の新環境政策論 人間と地球のための持続可能な経済とは第61回 国環研の脱炭素シナリオとGX経済移行法 

2023年09月15日グローバルネット2023年9月号

武蔵野大学名誉教授、元環境省職員
一方井 誠治(いっかたい せいじ)

顕在化してきた気候変動による被害

かねてより、このままでは、気候変動は環境を介した災害という形で深刻な被害を社会にもたらすことが予測され、IPCCをはじめ、多くの科学者らから警告が重ねられてきました。東京でもこの夏は過去に記録のない猛暑が続き、一方で日本の周辺海域での高い海水温度で勢力を強めた台風による、九州地方を中心とする豪雨被害も生じています。また、日本に限らず、ハワイやカナダで大規模な森林火災が発生し、欧州でも大規模な山火事や洪水が発生するなど世界各地で多くの災害の発生が報じられています。そのような中、本当に遅まきながらマスコミの間でも、その原因として気候変動の影響が言及されるようになってきました。

1972年に出版された『成長の限界』の著者の一人で、2012年に『2052今後40年のグローバル予測』を書いたヨルゲン・ランダースは、その中で、科学的な側面と社会的な側面双方の慎重な分析と考察に基づき、「資源と気候の問題は、2052年までは壊滅的レベルには達しない。しかし21世紀半ば以降、気候変動は歯止めが利かなくなり大いに苦しむ」と述べています。彼は1972年の『成長の限界』の当時の分析と訴えがその後の人類の行動を期待するようには変えることができなかったという深い失望を抱えつつも、あえてこれからの人類の対応に希望を持ちたいというスタンスで今後40年の予測をしたのですが、現状を見ると、「2052年までは壊滅的レベルには達しない」との彼の予測は楽観的にすぎるかもしれないとの強い危惧を私は持ちました。

国立環境研究所の脱炭素シナリオ

私は1975年に環境庁に事務職として入庁しましたが、当時環境庁の付属組織であった公害研究所に研究職として同時に入庁したのが、故森田恒幸さんでした。彼は、当時まだ確立されていなかった、アジア地域で環境と経済を同時に分析することができるAIM(アジア太平洋統合評価モデル)を開発し、気候変動問題の先進的なシミュレーションを行ってきました。残念ながら、森田さんは53歳という若さで病に倒れられたのですが、その業績はその後の環境研究所の後輩たちに引き継がれ、改善が加えられてきました。

日本は、現在、2050年までの脱炭素を目指して温室効果ガスの削減を図ることにしています。その政策対応の一環として、国立環境研究所(国環研)は、23年4月開催の中央環境審議会で「2050年までの脱炭素社会実現に向けた経路分析」として、AIMを活用した、国の目標や計画を反映したシナリオ分析を公表しました。

この分析では「A.脱炭素技術進展シナリオ」、「B.革新的技術普及シナリオ」、「C.社会変容シナリオ」の3つが設定されています。A.は、2030年まではエネルギー効率化、再生可能エネルギー技術が現行の計画どおり普及が進むものの2030年以降は期待される革新的脱炭素技術はその展開が十分に進まないシナリオであり、B.は、2030年以降、革新的脱炭素技術の展開も十分進展するシナリオ、C.は、B.に加えてデジタル化、循環経済などによる社会変容により財や輸送の需要がさらに低減するシナリオとなっています。

このうち、Aのシナリオでは50年までの脱炭素化は実現できず、B.とC.のシナリオではそれが達成できるとしています。

この中で特に私が注目したのは、脱炭素実現の鍵となる、電源構成における再生可能エネルギーの普及状況です。脱炭素が実現できるとされているシナリオの前提となる、再生可能エネルギーの発電電力量のグラフを見ますと、2030年以降は太陽光発電、風力発電が急激に拡大する結果になっています。逆に言えば、2030年までは既に国のエネルギー政策による各種の数字が決まっているため、それに沿ったシナリオを取らざるを得ないものの、それ以降は、こうでなければ50年脱炭素は実現できませんよという国環研の強い意思が感じられました。

脱炭素実現のための政策手段

これまで、日本は、京都議定書、パリ協定など節目の目標が示されるたびに、「京都議定書目標達成計画」や「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」など、それを達成するための政府の計画を定めてきました。しかしながら、それらの計画では、各分野での技術開発やその導入の想定などが積み上げられ、数字の上では目標が達成されるような構成になっているものの、それらの想定実現の裏付けとなる具体的な政策手段、なかんずく経済的な負荷を課することによる炭素税やキャップ付き排出量取引などの経済的措置の導入が決定的に欠けていたという問題点がありました。

実際、京都議定書目標については、その第一約束期間直前の2007年までは、日本の温室効果ガスの排出量は増加の一途をたどり、このままでは到底目標を達成できないという状況でした。その背後には、経済的措置の導入に対する経済界の根強い反対論もあり、実効性のある削減手段が導入できなかったことが大きな要因だったと私は考えています。

結果的には、2008年に勃発したリーマンショックによる世界的な経済不況に伴う日本経済の落ち込みとエネルギー需要の減少に助けられ、京都議定書目標は達成され、政策目標に対する政策手段の不足という日本の深刻な課題は社会的に顕在化しませんでした。

政策手段としてのGX経済移行法の有効性

さて、そのような状況が続いてきたなか、本誌における前回の私の報告で言及したGX経済移行法が成立し、日本における今後のカーボン・プライシングの導入が初めて具体化してきました。

私としては、この中で言及されている「排出量取引制度」や「化石燃料賦課金」が、今回国環研が公表した2030年以降の急速な再生可能エネルギーの導入シナリオとどのような関係にあるのかが、大変気になりました。そのため、先日開催されたある研究会において、この脱炭素シナリオについて説明された国環研の増井利彦領域長に、この急激な再生可能エネルギー導入は、GX経済移行法の「化石燃料賦課金」による政策効果を反映しているものなのか質問をしました。

増井領域長のお答えは明快なものでした。すなわち、2030年以降の再生可能エネルギーの導入シナリオは国環研独自のものであること、2028年度以降に導入が予定されている「化石燃料賦課金」によるエネルギー価格の上昇効果は想定していないことです。つまり、増井領域長の理解でも、この「化石燃料賦課金」はGX経済移行債の償還財源調達のためのものであり、カーボン・プライシングが持つ二つの政策効果である「価格効果」と「所得効果」のうち、「所得効果」のみが期待されているものであることです。要するに、「化石燃料賦課金」はそれによりエネルギー価格を上げることによる消費需要抑制の効果は期待されていないのです。これは、昨今のガソリンに対する補助金継続の動きからも、ある意味よく理解できる政策当局の意図といっていいかもしれません。

それでは、2030年以降の再生可能エネルギーの急速な導入は、どのようなインセンティブで実現されると考えればよいのでしょうか。この疑問に対する増井領域長のお答えも率直なものでした。すなわち、これは経済的なインセンティブというよりも、どちらかというと規制的なもので実現していくしかないのではないかというものでした。

気候変動問題のように、経済と環境が密接に絡み合った問題をどのように解決していくかという問題意識が故森田さんのAIM開発につながったと思います。また、それを受け継いで奮闘されている増井領域長のような森田さんの後輩たちも、そのことは十分承知の上で今回の脱炭素シナリオ分析を行っていると思います。そのような状況の中、本来、経済と環境とをつなぐ役割を持つべき経済的措置が適切に使われていない現状の下、増井領域長の深い苦悩とため息が聞こえてくるような気がしました。私も同じ思いです。

なお、「GX経済移行法」では、原子力発電への支援も検討されているやに聞きますが、それが持つ大きな問題点については、改めて論じたいと思います。

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