特集/広がるPFAS汚染~私たちに何ができるのか~欧米で進むPFAS 規制強化と対策の「ガラパゴス化」が進む日本
2025年02月14日グローバルネット2025年2月号
ジャーナリスト
諸永 裕司(もろなが ゆうじ)
本特集では、PFAS汚染についてその背景や全国に広がる影響について整理し、国や自治体にはどのような対策が求められ、市民には何ができるのか、考えます。
果たして国民にとってのクリスマスプレゼントになっただろうか。
昨年12月24日、環境省の下にある「水質基準逐次改正検討会(以下、水質検討会)」は、飲み水1リットル中に「PFOSとPFOAの合計50ナノグラム」としてきた暫定目標値を、そのまま基準値とする方針を決めた。水質管理の分類を「水質管理目標設定項目」から「水質基準」に引き上げることで水道事業者に遵守を義務付ける。
だが、海外との隔たりは大きい。
アメリカのEPA(米環境保護庁)は昨年4月、「PFOS 4ナノグラム、PFOA 4ナノグラム」を規制値に定め、それまでの勧告値「合計70ナノグラム」から大幅に引き下げた。事実上ゼロとすべきだが、浄水場の検査機器で調べられる検出下限値に合わせたのだ。また、PFHxS、PFNA、PFBN、GenXについても「10ナノグラム」などと新たに加えた。
EUはすべての有機フッ素化合物の製造・使用を禁じるPFAS規制法案の審議を続けており、PFASを個別ではなく、グループとして規制する潮流は広がっている。
たとえば、ドイツは「4物質の合計で20ナノグラム」または「20物質の合計で100ナノグラム」、カナダも「総PFASで30ナノグラム」。さらに北欧では、PFOS、PFOA、PFHxS、PFNAの4物質について、スウェーデンが「合計4ナノグラム」、デンマークは「合計2ナノグラム」としている。
それに比べると、日本の基準値となる「PFOSとPFOAの合計50ナノグラム」が桁違いに高いことがわかる。
これで本当に健康への影響はないと言えるのか。
水質基準の算出根拠とされたのは、体に取り込んでも健康への影響がないとされる「耐容一日摂取量」である。食品安全委員会が昨年6月に設けた。2020年に飲み水の目標値を定めたときはEPAの勧告値を基にしていたが、説明もなく変更したのだ。ゴールポストを動かした理由について、水質検討会も環境省も説明していない。
その「耐容一日摂取量」は、食品安全委員会の設けた専門家によるPFASワーキンググループ(座長=姫野誠一郎・昭和大学客員教授)が国内外の文献を検討して決めた、とされる。
その値はEPAと比べると、PFOSで200倍、PFOAで666倍大きく、欧州食品安全機関(EFSA)と比べても60倍以上も大きい。
ある厚労省関係者は、こう語った。
「20年前の動物実験に基づいた評価を採用し、その後に積み重ねられてきた世界中の疫学研究をすべて退けるというのは、よく言って保守的、より正確には保身的と言うべきでしょう。新しく登場した化学物質の評価が定まらない中、どのような考えに立って決めるのかという哲学がない」
耐容一日摂取量を決める過程についてまとめた「食品影響評価書(評価書)」を読み返すと、論文ごとの重要度や信頼性に触れることなく、結論が異なる論文があるだけで「証拠は不十分」「一貫していない」と決めつけるなど、科学的合理性の欠如は明らかだ。そもそも、第三者によるピアレビュー(査読)も受けていない。
クリスマス・イブの検討会で、もう一つ決まったことがある。
川や地下水といった環境中の水質については、遵守を義務付ける「環境基準」への引き上げを見送ったのだ。飲み水は水質基準になるが、川や地下水については、これまでの暫定指針値から「暫定」が外されて指針値にとどまる。
その理由を尋ねると、環境省の担当者はこう説明した。
「環境基準にしないと決めたわけではありません。引き続き、さまざまな知見の集積をはかりながら検討してはどうかと」
今後どこで検討されるのかと問うと、言葉に詰まった。
汚染源は主に、①泡消火剤を使っていた基地(米軍、自衛隊)や空港、②PFOAを製造または使用していた工場、③産業廃棄物または廃棄物最終処分場に分けられる。
ただ、汚染源とみられる事業者が見つかっても、自治体は調査に入ることができない。遵守を求める環境基準も、通常その10倍とされる排出基準も設けられていないためだ。
実際には、三重県四日市市のキオクシア(旧東芝)の半導体工場の排水から指針値の11倍を超えるPFOAが検出されたほか、京都や兵庫、山梨、熊本にある産廃処分場などからの漏出が確認されている。
環境省は汚染対策を自治体に委ね、自治体は法的裏付けがないとして指導に踏み切れないため、汚染は放置されているのが実情だ。
「PFAS対策技術コンソーシアム」で会長を務める、産業技術総合研究所の山下信義・上級主任研究員(エネルギー・環境領域)は言った。
「家の裏庭に不発弾が埋められていたことがわかったら、掘り出して解体すればいい。PFASではその技術がすでに確立されているのですから」
だとすれば、解決を遠ざけているのは環境省ではないか。
PFAS汚染の最大の問題といえばやはり、健康への影響だろう。
環境省は「これまでにPFASを原因とする健康被害は確認されていない」としているが、曝露量を把握するための血液検査や健康状態を観察する健康調査がほとんど行われていないためでもある。
また、PFASによる健康影響は腎臓がん、精巣がん、潰瘍性大腸炎、妊娠高血圧などが指摘されているが、かつてのメチル水銀による水俣病やアスベストによる中皮腫のように、原因物質と症状を特定することができない点が「21世紀の公害」の特徴といえる。
こうした中、原田浩二・京大准教授は、汚染が明らかになった地域の住民を対象に血液検査を重ねてきた。沖縄、東京・多摩地区、大阪・摂津、愛知・豊山町……。
飲み水から目標値の28倍に当たる1,400ナノグラムが出た岡山・吉備中央町では、驚くべき数値が明らかになった。2歳から80歳まで27人の血中濃度(1ミリリットル中)の平均は186ナノグラムで、最大が348ナノグラムだった。全米アカデミーの設ける指標は「20ナノグラムを超えたら、健康への影響が懸念される」というものだ。
町を歩くと、PFASとの関連が指摘される「コレステロール上昇」はもちろん、流産を3度繰り返した女性や、妊娠高血圧症に苦しんだ女性がいる。膵臓、子宮、大腸、食道、前立腺、乳、肺など、がんを患う人も少なくない。
その町で昨秋、自治体による血液検査が全国で初めて行われた。
4日後、環境省は、血液検査の意義をようやく認めた。これまでの否定的な姿勢を転換し、改訂した「対応の手引き」にこう記した。
<健康影響を明らかにするために、疫学研究を行う上で血液検査を行うことも考えられる>
血中濃度について、全国の汚染がない所では対象を拡大して測り、汚染されている所では測るべきでないとしてきた従来の主張は、そもそも論理が破綻していたのだ。
ところで、PFASによる健康影響に関連して昨秋、衝撃的な論文が発表された※。
※ https://www.nies.go.jp/whatsnew/2024/20240918/20240918.html
妊娠中の母親の血液中のPFAS(有機フッ素化合物)濃度が上がると、生まれてくる子どもの染色体異常が増える傾向がある――。
染色体異常は流産を引き起こすほか、ダウン症候群の原因にもなるものだ。しかも、深刻な汚染が確認されていない地域の約2万5,000組の母子を対象とした調査結果だ。今後も、さまざまな健康影響が認められていく可能性は少なくない。
ところで、世界を見渡せば、PFAS規制の潮流は明らかだ。
トランプ米大統領による揺り戻しが懸念されるとはいえ、アメリカは事実上のゼロを目指し、EUは個別の物質ではなく、グループとしてPFASを規制するかどうかを検討している。産業界からの反発を受けながらも、2026年にも結論を出すとしている。
一方、日本は先進国でもかなり緩い規制を維持し、PFAS汚染対策の「ガラパゴス化」が進んでいる。このままでは次世代に汚染を押し付けることになる。