どうなる? これからの世界の食料と農業第17回 農政の憲法と備蓄米放出
2025年04月17日グローバルネット2025年4月号
宇都宮大学農学部助教、NPO法人AMネット代表理事
松平 尚也(まつだいら なおや)
農業政策においては、農政の憲法と呼ばれる「食料・農業・農村基本法」(以下、基本法)がある。基本法は昨年6月に25年ぶりに改正された。改正の理由には、農業と食料を巡る情勢の変化があった。農業現場では、1999年の基本法の制定から四半世紀が経過する中で、農家の高齢化による担い手不足、農地面積の減少による農業生産基盤の弱体化、そして気候変動による自然災害の多発や作物の栽培適地の変化などさまざまな課題に直面するようになった。
基本法に基づき5年ごとに立てられるのが食料・農業・農村基本計画(以下、基本計画)だ。基本計画は、食料・農業・農村に関し、政府が中長期的に取り組むべき方針を定めている。
今回の基本計画は、基本法改正すぐの計画ということもあり、2030年までの5年間で農業の構造転換を集中的に推し進めるとしており、農業現場に大きな影響を与えることが予想される。そこでは食料安全保障の確保を目的とした国内の農業生産の増大、農業の持続的な発展が目指されている。
●基本計画の課題
課題と感じるのは、今回の基本計画で担い手への対策が明確でない点や食料自給率向上の中身、そして食料安全保障よりも輸出の促進が強調されている点だ。
担い手対策については、49歳以下の担い手を確保するために親元就農や雇用促進を行うと述べられている。しかし現在の高齢化した担い手の多くがリタイアすること、2040年には農家が30万戸まで減少することが予測される中で、根本的な担い手対策が示されていない。食料自給率向上の目標としては、国際基準に準拠してこれまで通り45%に設定された。しかし新設された「摂取カロリー自給率」では、人間の基礎代謝に必要なカロリーの最低限の数値(1,850カロリー)を分母にしたため自給率が跳ね上がり、水増しした統計結果だと批判がある。
最大の課題は、食料輸出を拡大し海外から稼ぐ力の強化という取り組みが国内の食料安全保障よりも上位に格付けされている点である。そこでは食品産業の海外展開とインバウンドによる食関連消費の拡大による相乗効果の発揮が目指されている。繰り返しになるがこの課題の深層には、国内の食料供給安定よりも海外への輸出を優先するという問題点がある。農林水産省(以下、農水省)の建前としては、国内の人口と食料の需要が減少しても食料供給の能力を確保するという背景が説明されている。しかし国内の食料生産が不安定化する中で、輸出よりもまずは国内の安定生産を目指すべきであろう。その矛盾を象徴するのが、農水省がコメ価格高騰と不足が続く中で突如打ち出したコメ輸出の大幅な増大目標だ。後半では、食卓とコメとの関係を考える上で重要な動きである備蓄米放出やコメを巡る現状に引き付けて、この課題を検討していく。
●流通円滑化を目的とした初めての備蓄米放出
2024年12月号の本連載で令和のコメ騒動について取り上げた際には、備蓄米の放出の予定がなかったばかりか、農水省は年明けになればコメ価格は落ち着くと主張していた。しかし年明け後もコメ価格は記録的上昇を続け、5キロ当たり価格は約4,000円まで上昇している。東京都内では5キロ約5,000円と、数年前ならば富裕層向けの価格といえる水準となっている。
農水省は価格高騰の理由としてこれまでコメを集めてきた集荷業者である農協にコメが集まっていないことを挙げている。特に昨年末に農協等の業者に集まったコメが前年よりも21万トン少なくなっていることを「消えたコメ」と問題視し、1月末に備蓄米放出を決定。3月中旬に備蓄米の入札を行い、3月下旬から4月中旬にかけて備蓄米が小売店の店頭に並ぶ予定だ。
メディアでは消えたコメ報道が過熱し、価格高騰の原因として転売業者の存在がクローズアップされた。転売の問題は、未検査米や、産地や収穫年度といった取引記録のないコメ転売が行われることである。備蓄米放出においては、転売防止のために卸から小売に精米したコメを販売することになっている。精米すると保存期間が約1ヵ月と短くなり転売しにくくなるためだ。農水省はさらに転売行為が法の網をかいくぐって行われているため、今後は取り締まりに向けて動いていくことを表明している。
ただし現場の実感としては、コメの供給自体が不足しているという受け止めが強い。実際、消えたコメの背景には、これまでコメ流通の大本となってきた集荷業者である農協にコメが集まらなくなり、コメ在庫が不足したコメ卸が農家から直接購入し、流通が複雑化したことも大きな原因と指摘されている。転売が問題というよりもコメ供給が不足していることこそが問題といえるのである。
備蓄米放出で話題となっているのは、その入札でJA全農が94%を落札した点だ。備蓄米の入札結果はキロ当たり約400円(精米換算)で現在の市場価格よりかなり低い結果となった。また全農は落札金額に必要経費だけを加えた価格で販売すること、卸などに適正な取り扱いを求めている。そのため今回の放出がコメ価格高騰の抑制につながると期待されている。
一方、JA全農が備蓄米販売においてコメ卸に備蓄米非表示の要請を出したことに対しては批判が出ている。消費者としては備蓄米と表示した割安なコメを入手したいという希望があるのはわかる。今回入札された備蓄米は、品種と産地と量がバラバラのため単一のコメの銘柄での販売は難しい状況だ。つまり販売方法としてはブレンド米としての販売が基本となる。難しいのが最近、輸入米と国産米のブレンド米が販売されていること。そして、小売が高く購入した一般流通のコメの在庫を持っていて、備蓄米だけで売ると店頭で二重価格ともいえるような状況が生まれる可能性がある点だ。そこでは安い備蓄米ばかりが売れて一般流通のコメが売れなくなること、そして備蓄米の在庫がすぐになくなり放出の効果が弱まってしまう点への懸念がある。
今回放出されるコメは約14.1万トンで、その内3分の2が2024年産と新しいコメで残りが2023年産の古米となる。古米の多くは業務・加工用や外食チェーンで利用される見通しだ。さらに4月中旬以降に追加で7万トン放出される予定となっている。農水省は放出後も効果が現れなければ、さらなる追加放出を行う構えだ。今回の放出は低支持率に悩む官邸主導で行われたとされており、7月の参院選前にさらなる放出がされる可能性がある。ただし備蓄米放出が決まってからもコメ価格高騰とコメ不足が続いているというのが関係者の実感でもある。
●求められるコメの安定生産
問題はコメ政策の転換が必要であるにもかかわらず備蓄米放出しか対策を行っていない点でもある。もし2025年産のコメが不作になった場合や、価格が高止まりすると、来年の秋まで価格高騰が続く可能性がある。実際コメの大産地である新潟県では、農協が2025年産のコメの買取価格を約3割引き上げることを決定しており、全国の産地に波及し秋以降も価格が高止まりすることが予測されている。一方で期待されている今年のコメの増産は限定的でコメ不足を補う水準には届かない可能性がある。
今、必要なのは国内のコメ安定生産だ。それなのに政府は国内生産をすっ飛ばしてコメ輸出の拡大を3月下旬に発表した。そこでは現状年間4.5万トンの輸出量を2030年に35万トンという目標を設定する方向で調整するとされている。
深刻な問題は、コメには内外価格差があり、国際価格の標準はキロ100~150円と国内の価格よりも低い点だ。そのため昨年から輸出用のコメ作りをする農家が減っているのが現状だ。国内で販売した方が高く売れるし、海外での販売の苦労もしなくて済むからだ。いま農業政策として必要なのは、農家が安心してコメ作りができるように欧州のように所得補償を導入しコメの供給を増やし、価格高騰を抑制することだ。基本計画策定の中で今一度、コメ政策について考える機会を増やしていくことが求められるといえる。