特集/シンポジウム報告 社会的共通資本と持続可能な社会・経済・環境~確かな未来を創る座標軸(その1)社会的共通資本を踏まえた市場経済の見方・考え方

2018年03月30日グローバルネット2018年3月号

日本社会事業大学 学長、東京大学 名誉教授
神野 直彦(じんの なおひこ)さん

 21 世紀金融行動原則(事務局・当財団)と環境省主催のシンポジウム「社会的共通資本と持続可能な社会・経済・環境~確かな未来を創る座標軸」が1 月31 日、東京・霞が関で開かれました。
 持続可能な社会を築くために再び注目されている故・宇沢弘文氏(文化勲章受章、シカゴ大、東大教授等歴任)の提唱した社会的共通資本の考え方をひも解くため、宇沢氏の長女の占部まりさん、東大名誉教授の神野直彦・日本社会事業大学学長、金融行動原則の起草にあたった末吉竹二郎・国連環境計画金融イニシアティブ(UNEP FI)特別顧問が基調講演。続いて「まちづくり、ひとづくり、くにづくりー新たな成長に向けた視点を探る」と題してジャーナリストの池上彰氏の進行でパネルディスカッシヨンが行われました。本号と次号の2 回にわたって内容を特集します。
(2018年1月31日、東京都内にて)

新ルネサンスを提案した宇沢先生の残された『日本の課題』

宇沢先生から生前、ケネディ政権の頃から温めていた経済学を体系的にまとめた本を出したいので一緒にやらないか、と声を掛けられました。これは『日本の課題(Agenda for the Nation)』と訳されています。前書き、各巻の章立てもできていますが、私が編集作業をしていないので完成していません。これは、全三巻の構成になっています。

第一巻「歴史の峠に立って」は先生が私の言葉を使ってくださったものです。歴史には峠があり、そこを越えるとまったく違った時代の風景が出来上がってくる。そして「峠」はいつも「危機」です。「危機」の英語であるcrisisには「分かれ道」という意味もあります。つまり結論は肯定的な解決か破局の二つしかない。そういう時点に私たちは立っています。

第二巻「やさしさ、謙譲、心のゆとりを取り戻す」では、明治時代に日本にやって来たヨーロッパ人が印象記を書いています。そこで語られている日本人の特色が三つあります。一つは、「日本人はどうしてこんなにやさしいのだろう?」という「やさしさ」、もう一つは「日本人はどうして自己主張をしないのだろう?」という「謙譲」、最後の一つは「日本人はどうしてこんなに心のゆとりをもっているのだろう?」という「心のゆとり」です。宇沢先生は、第二次大戦後に失ってきたこれらを取り戻すことが重要だと言っています。

第三巻目は「日本のルネサンスを求めて」という題です。

第二次世界大戦後、1960年代からアメリカ的な経済発展のプロセスで自然、社会、文化が広範にわたって破壊されたため、1980年代の半ばあたりからヨーロッパを中心に、失われた自然、歴史と文化を復活させようという動きが見えてきました。これを先生は「ルネサンス運動」と言っています。

「ルネサンス運動は1990年代に入るとEU諸国だけでなく周辺にまで及び、都市が生活や文化の質を競い合う状況が生まれている。質は美しさと置き換えると、国家間で富の量を求めて競ったときは争いが生じたが、生活や文化の質や美しさを競うときは、人びとに幸福、平和がもたらされる」と先生は言っています。

先生が考えている、経済発展のキーワードは「環境」と「文化」ですね。文化というのは生活様式で、それぞれの地域の自然と人間の交流を通じて作り上げられている生活様式のことを私たちは文化と呼んでいます。こうした考え方から、先生は本格的に社会的共通資本の経済学を確立しようと取り組まれていました。

ローマ法王の回勅・レールム・ノヴァルムの副題になった社会主義の弊害と資本主義の幻想

宇沢先生が、ヨハネ・パウロ二世に呼ばれて「レールム・ノヴァルム」に「社会主義の弊害と資本主義の幻想」という提案をしたことが占部さんのお話にありました。これはラテン語で「あたらしきことがら」という意味で、法王が世界のキリスト教信者や司教に出す回勅です。パウロ二世は宇沢先生に「資本主義と社会主義を越えて人間の尊厳と魂の自立を可能にする経済体制は、いかなる特質を持ち、いかなる方法で具現化できるか」と投げ掛けられました。宇沢先生は「目からうろこが落ちた」と思われて、社会的共通資本の経済学、制度主義に基づいた経済学に取り組まれていくわけです。資本主義と社会主義を越えて、リベラリズムに基づく制度主義経済学として社会的共通資本の経済学を打ち立てようとされました。

レールム・ノヴァルムの中には、こんなことも書かれています。いま世界では二つの環境破壊が進んでいる。一つは自然環境の破壊。自然環境の破壊については、人間はまだまだ不十分ながらようやくその恐ろしさに気付き始めている。しかし、もう一つの環境破壊、人的環境の破壊。人間の絆が断ち切られていくことには、人間はその存在すら気付いていないと警告しています。

宇沢先生は社会的共通資本の経済学を確立しようと学問の森を逍遥する旅に出られることになります。国富論をしたためたアダム・スミス(1723~1790年、英国の経済学者)は人間が利己心に基づくホモ・エコノミクス、経済人だと規定していますが、道徳感情論の方では、人間は他者の苦しみに共感するシンパシ―を持っている、としています。つまり、アダム・スミスは利己心と共感をあわせ持ったアンビヴァレントな存在として人間を捉えています。先生はいつも共感という人間観が失われたことを憂いていました。人間を総合的、全体的に捉えて「人間の尊厳と魂の自立」、ヒューマニズム・人間主義に立って、総体性を持っている人間として捉えています。ルネサンスはヒューマニズム・人間主義を掲げましたが、宇沢先生は近代の登場の時にあったルネサンスに共鳴して新しいルネサンスを提唱されているのだと思います。

量の経済から質の経済への転換期

宇沢先生の考え方を発展させながら、私がやっている財政学の考え方を入れ込んでいくと、今、私たちが越えようとしている歴史の峠は「量の経済」から「質の経済」に移る転換期、つまり自然資源を多消費していた大量生産・大量消費の経済は終わりを告げたということです。

この量を質に転換させるのは人間の知恵、知識なのです。米国の製薬資本がアマゾンで先住民のシャーマンが持っている5千種くらいの薬草の知識を聞き出し、分析して有効成分を見つけ、特許を取ってもうけている。ブラジル政府の要請でアメリカの製薬資本は開発基金を作ってアマゾンの先住民を支援しようとしたのですが、シャーマンたちは「これは祖先から私たちが暗黙知として伝えられているものだから、私たちの所有物じゃない。すべての人たちにこの知識は解放されている」とそれを断ったと宇沢先生は語られていました。

ローマ法王の回勅「レールム・ノヴァルム」にも書かれていますが、人間の欲求には所有欲求と存在欲求とがある。簡単に言ってしまうと、人間は所有欲求を満たされると豊かさが実感できる。存在欲求が充足されると幸せを実感する。スウェーデンでは子供たちに、「両親や友だちと触れ合ったりするとき幸せだと実感するのに、モノを持って幸せだと実感しないでしょう」と教えています。これまでの工業社会は存在欲求を犠牲にして所有欲求の充足を図ろうとしていたといえるでしょう。

ポスト工業社会にかじが切れていない日本

ポスト工業社会では、知識は惜しみなく与えないと発展しないのです。特許を取って抱え込んでいたら、何の発展もありません。惜しみなく与え合う、という共同体的人間関係が培養する精神的風土が美徳になっていく。つまりお互いが手をつなぎ合っていくという関係がむしろ重要になっていく。しかし日本はポスト工業社会にかじが切れないでいます。

ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873年、英国の哲学者)が、代表作『経済学原理』の中で「資本および人口の停止状態なるものが、必ずしも人間的進歩の停止状態を意味するものでない」と言っています。これまで技術革新によって生産性を上げた成果は人口の増加の方に食われていたけれど、これからは人間の人間的な生活や質を向上させる方向にイノベーションが使えるようになる。これがミルの指摘です。

米国の経済学者でノーベル経済学賞を受賞したレスター・サロー(1938~2016年)は『資本主義の未来』の中で、「ルールが変わった、ゲームの戦い方が変わったという事実を最後に気が付くのは前のルールの勝利者だ。第二次世界大戦後、世界の重化学工業化の過程の中で日本は優等生、勝利者だった。しかし1973年、石油ショックが起きて、もう産業構造を変えなくては、と他の国が努力していくときに、日本は依然としてルールがまだ変わっていないと、新しいルールのゲームが始まっていることに気が付いていない」と警告しています。日本はまだ、そういう意味で重化学工業的な発想でしか経済が動かされていないのです。

希望と楽観主義で歴史の峠を越える

最後の結論ですが、スウェーデンでは子供たちに「私たちはこの歴史の峠を、希望と楽観主義を携えて越えよう」と呼び掛けています。この戦略を宇沢先生の社会的共通資本の経済学の視点から見ると、「社会的な共通資本を、重化学工業のときの社会的な共通資本から、新しい次の未来の社会的な共通資本に再編していくことだ」と言っていいのではないかと思います。そこには三つの戦略が示されています。

第一の戦略は「人間的能力向上戦略」。経済成長と雇用確保、社会的正義を同時に達成するには、人間的能力を向上させるしかない、ということです。障害者であっても関係なく、すべての人間が持っているかけがえのない能力を発展させれば、当然のことながら生産性は良くなって経済成長するということです。

日本は産業構造を変えるつもりがないので、人間の人間的な能力を高めて労働生産性を上げるという発想がない。人間の人間的な能力を必要としないような単純な労働にしておいて、賃金の競争に勝とうという作戦しかないので、産業構造は変わりません。

第二戦略は「生命活動保障戦略」。人間は生物ですから、生物そのものが生理的な作用を充実させていくために重要なのは、医療と同時に環境です。

第三戦略は「社会資本培養戦略」。人間の絆、お互いに手と手を取り合う人的能力と同時に社会資本を培養していくという戦術といわれています。欲望の「奪い合い」から幸福の「分かち合い」の方向に変えなければならないということです。

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