21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第31回 改めて「持続可能性とは何か」を考える

2018年09月18日グローバルネット2018年9月号

武蔵野大学教授
一方井 誠治(いっかたい せいじ)

「環境保全」から「持続可能性」へ

1975年に筆者が当時の環境庁に入り、環境行政に参加し始めたころは、「持続可能性」や「持続可能な発展」という言葉はまったく使われていませんでした。

それが大きく変わったきっかけが、1987年に出された通称「ブルントラント報告」で、「持続可能な開発(発展)」という概念が打ち出された時でした。続く、1992年の地球サミットでこの概念は、環境と開発をつなぐ言葉として広く世界に定着しました。

この報告での「持続可能な開発(発展)」の定義には、かなり注意深くいろいろな条件が付されているのですが、一般的には、「持続可能な開発とは、未来の世代が自分たちの欲求を満たすための能力を減少させないように、現在の世代の欲求を満たすような開発である」と理解されています。

この概念は、当時、どちらかというと開発より環境保全との声が大きかった先進国と、環境保全より開発を、との声が大きかった途上国の双方にともに受け入れられるものとなり、世界の人々に、開発に際して慎重な配慮や工夫を行えば、それは持続可能な発展につながるとの意識をもたらし、そのような考え方が現代の主流になってきたように思います。

しかしながら、これに対して、哲学者の加藤尚武氏は、その著『新・環境倫理学のすすめ』の中で、「ここには、具体的にどこまで開発を進めていいのかという限度が見えてこない」と批判をしています。また、ドイツのヴッパタール研究所上席研究員のヴォルフガング・ザックス氏が『地球文明の未来学』で、この概念は「はじめから危険なあいまいさを含んでおり、環境保護運動を間違った方向に導くような役割を果たしている」と批判していることを紹介しています。

私自身も、地球サミットの成功に向けてブルントラント委員会が果たした役割を高く評価していますが、一方で、現代社会は、この概念の下で、本当に持続可能な発展の方向に向かっているのだろうかという大きな疑問をかねてより抱いてきました。

定常型経済の思想と経済学の発展

この、開発か環境かというような問題は、実は今に始まった話ではなく、経済学の発展の歴史において、やや別の面から繰り返し提起されてきた問題であるともいえます。

J.S.ミル(1806~73)は、経済学の基礎を築いた経済学者の一人ですが、その主著『経済学原理』の中で当時の急速な経済成長の状況に、社会システムの面から懸念を示し、次のような主張を述べています。

「自然の美観壮観のまえにおける独居は、ひとり個人にとってよい事であるばかりでなく社会もそれをもたないと困るところの思想と気持ちの高揚とを育てる揺籃である。また自然の自発的活動のためにまったく余地が残されていない世界を想像することは、決して大きな満足を感じさせるものではない。(中略)もしも地球に対しその楽しさの大部分のものを与えているもろもろの事物を、富と人口との無制限なる増加が、地球からことごとく取り除いてしまい、そのために地球がその楽しさの大部分を失ってしまわなければならぬとすれば、しかもその目的がただ単に地球をしてより大なる人口――しかし決してよりすぐれた、あるいはより幸福な人口ではない-を養うことを得しめることだけであるとすれば、私は後世の人たちのために切望する。彼らが、必要に強いられて停止状態にはいるはるかまえに、自ら好んで停止状態にはいることに。」

ミルの主張のベースには、英国の経済学者リカードの利潤率に関する議論を受けて、経済成長プロセスは、最終的には利潤率が最低限まで低下し、停止状態に至ると考えたことがあります。ここでいう停止状態とは、人的資本と物的資本のストックが一定量で不変な状態(定常状態)のことを意味します。

また、1972年に発表されたメドウスら4人の著者によるローマクラブの『成長の限界』は、資源や環境の制約がいずれは経済成長を止めることになるということを、システムダイナミクスモデルを活用して説得的に示したものであり、当時大きな反響を呼びました。

さらに、「持続可能な発展の3原則」を提唱したことで有名なハーマン・デイリーは、1970年代に定常型経済構築の可能性について精力的な研究活動を行いましたが、経済成長が続く当時の米国における経済学会の中では、大変評判が悪く異端視されたといいます。

「強い持続可能性」と「弱い持続可能性」

環境経済学では、持続可能性について二つの考え方があります。「強い持続可能性」とは、人間の経済成長には「最適な規模」があり、自然資本は人間の福祉の究極的な源泉であることから、森や海など自然資本の制約を超えて成長することは不可能であるという考え方です。

一方、「弱い持続可能性」とは、自然資本は人間の福祉の決定要因の一つであり、自然資本はその他の人工資本などで代替可能であるという考え方です。この概念は従来の経済学の考え方と、より親和性があります。

実は、私自身、比較的最近に至るまで持続可能性について、このような大きな考え方の違いがあり、それが今後の文明の在り方に対して極めて重大な意味を持つということに十分気が付いていませんでした。この二つの考え方の視点から各種の指標などを見てみると、これまで自分が感じてきた違和感や懸念といったことの多くが「弱い持続可能性」と関係していることがわかってきました。

例えば、国連の持続可能性指標であるSDGs(持続可能な開発目標)では、環境、経済、社会の面から多くの達成すべき指標が挙げられており、それらは同時達成されるべきものとされています。ただ、17項目にわたって平面的に並べられた指標からは、環境は全体の一部という印象が強く、弱い持続可能性の印象が伝わってきます。また、これも国連が主導している新国富指標は、これまでのGDP指標を補完する新たなストック指標として明示的に自然資本を取り込んでいるのですが、自然資本、人工資本、人的資本間の代替性を認めていることから、弱い持続可能性を前提としていることがわかります。

強い持続可能性の思想は今後生き残れるか

J.S.ミルの自然の美観壮観についての主張や、江戸時代の陽明学者である熊沢蕃山が言及した「万物一体」「草木国土悉皆成仏」というような考え方は、人間と自然との関係を極めて深くかつ謙虚に捉えたもので、ローマクラブの言う、資源や環境上の制約という言い方とは若干違うのですが、強い持続可能性の考え方である「自然資本は人間の福祉の究極的な源泉である」という考え方に相通ずるところがあります。

これまでの人類の文明の発展とは、ある意味、弱い持続可能性の考え方に立っており、人類が依拠し、かつ制約されてきた自然資本を多くの人工資本によって置き換えてきた歴史と言ってもいいかもしれません。しかしながら、例えば、化石燃料の発見と産業革命は、一見すると従来の森林資源による制約を逃れて人類が飛躍のスタートを切ったと思えたものの、それが現代の気候変動問題につながっているということは、決してたまたまの偶然とは思えません。

かつては、自然資本の制約の中でその持続可能性を保障されていた人類は、18世紀以降の産業革命、科学革命、市場制度の急速な発展により、そこから一時的にせよ踏み出す手段を得たのですが、一方で自然資本による持続可能性の保障を失い、人類自らが自身の持続可能性を保障しなければならないという事態に立ち至ったというのが現代の状況ではないでしょうか。

これまで文明の発展は歴史の必然であり、弱い持続可能性の考え方は人類にとって良いことだという、半ば暗黙の常識があったように思います。しかしながら、何十億年の歳月を経て作り上げられてきた地球環境の本当の価値と重要性を私たちは完璧に知っているとはいえません。自然資本を主として経済の面から価値付けし、より大きな市場価値があるということで人工資本に安易に置き換えていくことは、そろそろやめるべきというのが私の考えです。

訂正:2018年7月号の本連載の松下和夫氏執筆の記事において、アジア開発銀行研究所が8月に新潟でワークショップを開催予定と記載しましたが、諸般の事情で延期となり、来年度に向けて改めて準備が進められることとなりました。

タグ:,