日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第19回 不毛の地を緑化し漁業資源も回復―北海道・襟裳岬 

2018年10月16日グローバルネット2018年10月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

キーワード: 海藻マルチ 広葉樹 コンブ ゼニガタアザラシ

太平洋、オホーツク海、日本海に囲まれた北海道は、自然も水産資源も多彩で豊かだ。13年前、山、川、海のつながりを考えながら海沿いを車で一周したことがある。今回の「沿岸を歩く」取材は道東を再訪し、見逃していたものや時間の経過を確かめた。初回の襟裳岬から十勝川、釧路、厚岸、歯舞、知床を訪ね、6回に分けて報告する。

最初の訪問先、襟裳岬は、森林伐採などで砂漠化した土地を植林でよみがえらせ、海の恵みも取り戻した。緑化事業開始から65年経過した現在も自然再生が続き、その歴史は語り継がれている。日本有数の強風の地で、海藻をマルチ(被覆資材)に使った植林などで自然が息を吹き返した襟裳岬は今、ゼニガタアザラシの増加など新たな課題と向き合っていた。

奇跡の自然再生ドラマ

7月上旬、日高側の国道235号線から、えりも町に入り、朝一番で訪れた岬は、霧で視界は悪かった。岬の先にある岩礁で年中見られるはずのゼニガタアザラシの姿はなし。展望場所には『襟裳岬』の歌詞碑が二つ並び、森進一の方が「襟裳の春は 何もない春です」(作詞:岡本おさみ)と有名なフレーズ、古い島倉千代子の方は強い風の様を歌っている。岬から遊歩道を少し下ると、玉砂利を敷いたようなコンブを干す干場が見える。2日後にコンブ漁が解禁となるという。

岬から引き返して、えりも町役場を訪ね、産業振興課主任の脇坂久也さんに面会すると、関係行政機関の担当者にも同席してもらい説明を聞くことができた。

緑化事業の舞台となったえりも国有林は岬から東側沿岸に広がる421haで、標高5~70mの丘陵地形。300年前の江戸時代、寛文年間にはアイヌの人々が住み、本州から入植した和人が漁を営んでいたとされる。当時はカシワ、ミズナラ、ハルニレなど広葉樹の原生林に覆われていたが、明治以降の開拓による伐採や放牧、バッタの襲来などのために、急速に砂漠化した。明治末期には表土があらわになり、赤褐色の火山灰砂が強風にさらされて「えりも砂漠」となった。

日本屈指の強風地帯の飛砂が周辺の海を濁らせた。魚は減少し、コンブなどの海藻類も根が腐るなど影響が深刻になった。国の緑化事業が始まったのは戦後の1953年。植樹をする前に草を根付かせようとしたが、種が表土ごと風に飛ばされた。試行錯誤の後、草の種と肥料をまいた上に浜辺に打ち上げられる雑海藻(地元では「ゴタ」と呼ぶ)を敷き詰める「えりも式緑化工法」を導入した。ゴタは適度な粘りと湿気があり、乾燥すれば接着する。雨が降っても表土をしっかり固定し、そのまま肥料にもなるというマルチに勝る画期的な資材だった。

これで草による緑化(草本緑化)は飛躍的に進み、その後防風垣の改良、防風土塁の設置、補植などによって、クロマツとカシワを中心とした森がよみがえった。2017年度末で196haの木本緑化を終了している。

後世に語り伝える体験

緑化事業では、収入が減った地元の漁業者(56年で襟裳岬集落は203戸、人口1,215人)を雇った。緑が復活するにしたがって、若者のUターン現象が起こり、1980年には過疎地域の指定が解除された。現在、約300世帯の岬地区では、若い人の流出が少なくなり、合計特殊出生率が道内一の1.9になったという。

地元では、緑化事業の歴史や緑の恵みの大きさ、失われた緑の回復の難しさを後世に語り継いでいる。脇坂さんと町教育支援課長の今野章さんから、2006年からえりも中学校、えりも高等学校で中高一貫の環境教育が始まったことを説明してもらった。

再生した森は、クロマツ中心からハンノキ、シラカバ、ミズナラなど広葉樹の混じった森に戻している。

今年5月、えりも岬の緑を守る会(会長・神田勉えりも漁協組合長)の「えりもワクワク森林(もり)づくり体験事業植樹祭」では、参加した約300人がトドマツ400本とミズナラ200本を植樹した。植樹祭とは別に枝打ち作業を兼ねる育樹祭があり、近隣住民も参加している。

脇坂さんらと同席していた、ひだか南森林組合専務理事の盛孝雄さんは「緑化事業の歴史を風化させない努力が大切」と締めくくった。

役場で説明を聞いた後、脇坂さんと林野庁北海道森林管理局の鈴木浩さん、瓜田元美さんに案内していただき、「えりも町林業総合センター」を訪れた。センター内にある緑化資料館では映像やパネルで事業の歴史が紹介され、現場で使われた器具が展示してある。続いて近くの第二展望台に案内され、広葉樹の混交林に変わっている様子を確認した。脇坂さんらと別れた後、百人浜にある高さ13mの管理棟に登り、海岸沿いに広がる森を眺めた。正直、13年前と景色の違いはわからなかったが、雄大な自然の迫力は同じだった。

被害を防ぐ知恵と努力

緑化事業に伴って、海が透明になるとサケなどの魚介類の水揚げは増加し、1952年に75tだったものが1991年には30倍近い2,082tに、2003年には3,683tに増えた。コンブ漁も安定しており干場が岬の東へ拡大している。ゼニガタアザラシの数も増え、定置網に入り込んでサケを食べるなどの漁業被害が増えた。

ゼニガタアザラシは、日本に定住する唯一のアザラシで、太平洋から大西洋まで広く分布し、北海道東部の襟裳岬や大黒島、歯舞群島などに生息している。えりも町では貴重な観光資源でもある。文字通り銭のような模様があり、かつて絶滅危惧種とされたが、生息数が増えて2015年には環境省のレッドリストで絶滅危惧種から準絶滅危惧種になった。これは“格下げ”というより熱心な保護運動の成果ともいえる。

ゼニガタアザラシを天然記念物に指定しようという運動があったが、漁業者らの反対で立ち消えた。一方、1990年には町内に、漁業者も加わってアザラシとの共存共栄を考える「えりもシール・クラブ」が設立されるなど、保護をめぐって論議が続いてきた。

環境省が、えりも町に自然保護官事務所を設置したのは4年前の2014年。16 年には「ゼニガタアザラシ管理事業実施計画」を策定し、行政、漁業関係者、地域住民、研究機関などと連携して個体群の管理、被害防除対策、モニタリングなどに取り組んでいる。再び絶滅危惧種に戻ることがないよう、沿岸漁業を含めた地域社会との共存を模索している。

昨年(2~11 月)137 頭を捕獲(捕殺)したほか、定置網にゼニガタアザラシが入らないように格子網の設置や音波忌避装置の改良なども続けている。

害獣と呼ばれる野生動物について不思議に思うのは、ゼニガタアザラアシが食べたサケなどの被害に対して、漁業者に直接補償がされないことだ。獣害対策費はもっぱら駆除や被害防止のためのものなので、野生動物に対する憎しみの感情は残るのではないか。ゼニガタアザラシは本能に従って生きているだけなのだ。自然再生の偉業を成し遂げた襟裳岬だからこそ、自然の一部でもある野生動物を大切にする気持ちを持てるような施策を期待したい。

タグ:,