日本の沿岸を歩く―海幸と人と環境と第21回
知床の自然資源と魅力はでっかいぞ―北海道・羅臼

2018年12月17日グローバルネット2018年12月号

ジャーナリスト
吉田 光宏(よしだ みつひろ)

『知床旅情』(作詞・作曲:森繁久弥)の歌詞にある「はまなすの咲くころ」に合わせた7月上旬、知床の地を訪れた。知床が1964年に国立公園に指定されてから30年後、半島東側の羅臼町と西側の斜里町が世界遺産登録へ動き始め、11年後の2005年に7万1,000haが世界自然遺産に登録された。海氷によって海洋と陸上の生態系が連続し、人手の入っていない植生は多様でヒグマが高密度で生息する。シマフクロウ、オオワシ、オジロワシなどの希少種の繁殖地や越冬地となっている。

●多彩で豊かな漁業資源

道の駅「知床・らうす」から羅臼漁港を望む

知床旅情のイメージを胸にしまって羅臼漁業協同組合を訪ねた。参事の佐々木公夫さんは、冒頭、漁業者は漁業規制も想定された世界遺産登録に対する理解があったこと、先代から禁漁区を設けたり、刺し網の目合いを大きくしたりするなどして資源管理に努めてきたことを話した。続いて多彩で豊かな羅臼の海の幸の漁業の解説が続く。

まず羅臼昆布(オニコンブ)は、北海道で採れる昆布(7種類)全体の年間生産高1万5,000tのうち、養殖を含めて、わずか200t程度。濃厚な味が特徴で、だし昆布として重用される。水深3~10mの海底に生えている昆布を「マッカ」と呼ぶ昆布棹で巻いてかき取る。干場かんばで乾燥させ、夜には露に当てて湿らせるなど23もの工程がある。7~8月に採取、9~11月にかけて製品にして出荷作業をする。かつては半島先端の浜に番屋と呼ばれる小屋が多くあり、そこに住み込みで働いていたという。

羅臼の沖は、浅瀬が狭くすぐに深い海になる。また暖流と寒流がぶつかる海域で、多くの種類の魚が捕れる。流れてくるホタテの幼生を採って3.5cmの稚貝に育てオホーツク側の漁協に販売している。

サケの定置網漁では、秋鮭を羅皇らおうのブランド名で売り出している。体表が銀白色を帯びた銀毛ぎんけで脂が乗って非常においしい。1ヵ所の定置網から1匹4.2~5.2㎏の3匹までを選りすぐったサケで、札幌のデパートなどに出している。店頭では1万円近くする。

午前10時からの魚市場に流通部長の竹内勉さんに案内してもらった。サケ、ブリ、タラ、エイ…。多くのトロ箱が並び、元気のいいせり声が響く。市場の床には少量の水が流れている。これが自慢の海洋深層水だ。漁協が取水管や陸上設備などを整備し、漁港沖約3㎞、水深350mで湧昇している海洋深層水を日量4,560tくみ上げている。その9割以上を水産業で利活用し、低温で清浄な深層水が魚の鮮度維持、市場散水などに使われる。衛生管理を徹底でき、年間500万円の氷代も3分の1に削減できた。別会社を立ち上げて「知床らうす深層水」として販売事業も展開している。

●自然を観光資源にする

羅臼の沖に見える国後島はロシアに不法占拠されているが、その間に二十数kmしかない根室海峡は豊かな漁場として知られる。1980年代には太平洋の東北部で漁獲の多かったスケトウダラについて佐々木さんは「ピークの1990年には1月から3月の3ヵ月で約11万tの漁獲があり、水揚げ額は150億円もありました」という。日本はトロール船の操業を自粛していたが、1988年からロシア(1991年まではソビエト連邦)のトロール船が根室海峡や千島列島南西海域に入ってきた。トロール船は遠洋底引き網の大型漁船。冷蔵設備があり効率よく漁獲できるが、資源への影響も大きい。ロシアのトロール船が3,000t級であるのに対し、日本の刺し網漁船は20t未満で、まさに“黒船”だった。

4年後の1992年ごろにはスケトウダラの漁獲が4万tまで激減した。その後、日ロ政府は協議によって北方領土周辺水域で日ロの管轄権の問題を棚上げにし、日本漁船が特別に操業できるようになった。「安全操業」と呼ばれるが、漁獲量が決められ、資源保護の協力費として実質的な入漁料を払っている。

200カイリ問題や漁獲減少などで日本の漁業が衰退する中で、羅臼漁協も減船や組合員の早期退職勧奨などをしてきた。組合員はピーク時の半分以下の384人に減り、人口の6割が漁業や水産加工に従事している羅臼町の人口流出が続き、かつて1万5,000人あった人口は5,066人(2018年10月末現在)となっている。

羅臼漁協の魚市場

そんな羅臼で、これまであまり重視してこなかった観光産業に動きが出てきた。世界遺産登録を機に、公募で札幌出身の加瀬里紗さんが観光協会事務局長に就いて新たな取り組みが次々と始まった。魚市場の競りや昆布倉庫の見学、昆布番屋を訪ねるツアーなどのほか、昆布の端を切り取って製品にする「ひれ刈り」体験も人気だ。こうした取り組みを漁協や行政、団体などが町ぐるみとなって支援している。

漁港そばの道の駅「知床・らうす」や、その隣にある漁協直営の販売施設「海鮮工房」もにぎわっている。

羅臼はクジラやシャチのウォッチングが人気を呼んでおり、港には何隻もクルーザーが停泊していた。最近、知床が世界でも珍しいシャチの大集団が集まる場所であることがわかり、注目されている。

観光船の船頭は以前漁船に乗っていた人も多く、付近の海の様子には詳しい。また元同僚の漁船からクジラやシャチの目撃情報を得ている。それらが見られなかったときには、刺し網漁船のそばで水揚げを見学することもあるという。

「羅臼は漁業の町、観光は漁業の邪魔だ、というような感覚だったので隔世の感です。今では漁業者も観光客などに気軽に話しかけるようになりました」。観光協会理事を務めたことがある佐々木さんは、世界遺産登録による漁業者の意識変化を語る。

●開拓跡地を自然へ戻す

羅臼漁港が見える丘にある「しおかぜ公園」には、森繁久弥が映画で演じたオホーツク老人の像、『知床旅情』の歌詞碑とともに、『オホーツク老人』を書いた小説家戸川幸夫(1912~2004)の世界遺産登録記念賦がある。自然の中の生命の連続と定めを見事に描写している。

「(略)とりけものたちは 彼らの習慣にしたがって生きてそして死んでいく 人間もこの半島に生きる限り同じだ(略)誰にも知られず誰にも知らさず みんなが幸福にひっそりと生きそして逝く 永遠の大地―知床半島」。

取材の前後には自然味満点の露天温泉を堪能した。漁協を訪ねる前の早朝、半島先端に向かう道の行き止まりにある相泊あいどまり温泉に漬かれば、すぐ目の前は海。羅臼を後にして、オホーツク海側のウトロに通じる知床横断道路の峠を上れば硫黄の匂いがする熊ノ湯温泉。森林に囲まれた湯の中で、見知らぬ同士の会話が弾んだ。

ウトロでは観光船「おーろら号」に乗船して硫黄山までのクルーズを体験した。往復で1時間半。デッキから半島の写真を撮っていると「昨日は熊の親子が目撃できたのですがね」と船員が同情してくれた。定置網のブイが浮く海に半島の岸壁がついたてのようにそびえる。その上の地域は、開拓跡地を自然に戻す「しれとこ100平方メートル運動」の舞台。土地を買い取るナショナル・トラスト運動に発展し、生態系再生を視野に入れた森づくりが続いていることを知った。

ウトロのオロンコ岩頂上から見る知床半島(後方)

タグ:,