拡大鏡~「持続可能」を求めて第5回 気温上昇が2℃を十分下回るよう抑えられる日~1.5℃、2℃、2.5℃の議論から考える

2019年06月14日グローバルネット2019年6月号

ジャーナリスト
河野 博子(こうの ひろこ)

京都議定書が発効した2005年からパリ協定が採択されるまでの10年間、私は国際的な地球温暖化抑止対策を追った。科学に基づく事実、人間社会の現実、ぶつかり合う各国の利害を踏まえてできたのが、パリ協定だ。産業革命前からの地球の平均気温の上昇幅を何℃に抑えるべきか、をめぐるあれこれを振り返る。

日本発「2.5℃」の議論

2009年12月、デンマーク・コペンハーゲンでの気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)は、事実上決裂した。以降、各国内・各国間で新たな枠組みづくりをめぐり、激しい議論が続いていた。

2013年3月22日に東京の英国大使館で行われた朝食会のことは、忘れられない。さまざまな立場の日本の学者、専門家に混じり、読売新聞編集委員だった私も招かれた。私が驚いたのは、電気事業連合会などに近い立場の学者が冒頭、「2℃目標はおかしい」「変えるべき」という主張を展開したことだった。

彼は英語による論文を発表し、「産業革命前からの気温上昇幅を2.5℃以下にする、という目標の方が適切だ」と主張しており、「strong weak target is better than weak strong target(一見緩いように見えて実は強い目標は、厳しいように見えて実は弱い目標に勝る、という意味)」との持論を披露した。

私はその場で、「2℃目標は、2009年7月のイタリア・ラクイラでの先進国首脳会議(G8サミット)で合意されたもので、これに異を唱えることは意味がない」と反論し、その前年に行ったインタビュー取材で、英国環境省首席科学顧問のロバート・ワトソン博士が「2℃目標を緩めれば、産業革命前からの気温上昇幅はすぐに4℃や5℃になってしまう」と述べていたことも付け加えた。

その朝食会から3ヵ月後の2013年6月25日、今度は千代田区平河町で開かれた中央環境審議会地球部会で、再び「2℃目標」を緩めるべきだとの意見を耳にした。発言したのは、当時電気事業連合会環境専門委員会委員長だったI氏。今、議事録を読むと、「今の環境計画の中に、もちろん政治的にまた2℃を念頭に置いて、世界全体が50%、それから2050年までに先進国80%削減ということが書かれていますけれども、これについても、そろそろ政治レベルに、それの見直しが必要ではないかということも科学的知見から発信していくべきだ」と述べ、「2℃目標の見直し(2.5℃などへと緩めるという意味)」を提唱している。

当時、中央環境審議会の委員だった私は、この時も、「2℃目標というのは、2009年のラクイラ・サミットで先進国間で一致したもの。その年の12月には、気候変動枠組み条約の締約国会議でも合意されている。2℃を2.5℃にするとか、2℃に意味がないということを議論することは、あまり意味がない。国際的な流れに沿って日本も頑張るべきだと思う」と発言した。

「2℃目標」見直しの議論の含意

専門家や権威ある立場の人びとがテーブルを囲む場で人の発言にかみついたことは、我ながらバカだったと思う。今になって思えば、発言者は真面目に「2℃目標の見直し」を提唱したわけではなく、狙いはもっと別のところにあったのかもしれない。

それは、国内の「カーボン・プライシング政策導入」の封じ込めではなかったか。

カーボン・プライシングは、言ってみれば、二酸化炭素の排出に上限を設けたり、排出量が多い場合は高い税金を課したりすることで、企業や事業者による一層の削減を促す施策のことを言う。

産業界は、「日本はオイルショック後に省エネを徹底し、削減余力はない」という主張を展開して、カーボン・プライシングの導入に猛反対していた。

現在、さまざまな形で、この「乾いた雑巾」論のうそが明らかになっている。

2017年の秋、私は温室効果ガスの排出削減に取り組む大企業数社を訪ね歩いた。パリ協定の「2℃目標」に整合する削減目標は、「科学に基づく目標」(Science Based Targets 略称SBT)と呼ばれ、国際環境NGOの「CDP」(本部・ロンドン)や「WWF」(世界自然保護基金)などが作るSBT事務局が、企業側から提出された目標を審査し、認定している。めでたく認定を受けた企業の中には、省エネや資源利用の抑制を進め、工程ごとに細かな見直しを進めた結果、生産時間が短くなり、環境負荷も減ったことを喜ぶ企業もあった。厳しい目標を持ち、努力する中でビジネスチャンスが開けた例も聞かされた。「産業界は2007~2008年ごろには、削減余力はない、と盛んに主張していましたが」と聞いてみると、担当者らは一様に、質問の意味がわからない、という表情を浮かべた。

「オイルショック後の省エネにより、日本のエネルギー効率は世界最高水準」という説も、いまや怪しくなっている。環境省の長期低炭素ビジョン小委員会が2017年に示した「炭素生産性の国際比較」で、二酸化炭素1トンを排出するのに対してどのくらいの国内総生産(GDP)を生み出せているかを見たところ、日本はドイツや英仏に大きく差をつけられている。

パリ協定後の現実

パリ協定はその目的で、「産業革命前からの気温上昇が2℃を十分下回るよう抑える」「1.5℃に抑える努力をする」「温室効果ガスをなるべく早く減少に転じさせ、今世紀後半に実質ゼロとするよう目指す」とうたっている。

これを受け、政府は現在、「パリ協定長期成長戦略」を策定中。有識者による懇談会が4月にまとめた提言は、〈今世紀後半のできるだけ早期に「脱炭素社会」の実現を目指す〉〈1.5℃の努力目標を含む長期目標の実現〉などと打ち出したが、具体的手段は〈新たな技術開発・イノベーション〉に頼っている格好だ。懇談会では、再びカーボン・プライシング反対が示された。委員の一人、新日鐵住金代表取締役社長(当時)の進藤孝生氏が4回目の会合で、「カーボン・プライシングのような他国と同様の制度を導入すれば、産業の国際競争力を失うことにもなり、環境と経済成長の好循環は達成できない」と強調した。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、昨年10月にまとめた「1.5℃特別報告書」で、1.5℃と2℃では、地球の生態系に与える影響に大きな違いがあることを明らかにした。上昇幅を「1.5℃」にとどめようという声が今、世界で高まりつつある。

「2℃」と「1.5℃」をめぐる裏話を聞く機会があり、「へえ、そうだったのか」と納得したことがある。昨年7月、私がプラネタリー・バウンダリー論で知られるヨハン・ロックストロム博士にインタビューした際に、博士から聞いた話だ。そもそも「2℃目標」の提唱者は、ドイツのポツダム気候影響研究所設立者・所長のハンス・J・シェルンフーバー教授だが、純粋に科学に基づけば「1.5℃」とするべきだった。教授は社会との対話を重ねた結果、いわば妥協の産物として「2℃」を打ち出したのだという。

読売新聞科学面の連載IPCCシリーズ(2013~2014年)の中で、「2.5℃目標」を提案した科学者が「目立つ被害はサンゴの白化くらいだ」「望ましくはないが、この被害を受け入れられれば、目標はある程度緩められる」と語っているくだりがある。

気候変動による海洋生態系への影響が、当初考えられたよりもずっと深刻だと最近、わかってきた。サンゴの白化や海の酸性化は、「海の生物が困る」レベルの問題ではない。パリ協定に沿った政策が必要だ。

2013年11〜12月、カタール・ドーハで開かれた国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議(COP18)の期間中、会場近くの道路上にあった標識。産業革命前からの地球の平均気温の上昇幅を「2℃未満に」と訴えている。なぜか「<」とするべきマークが逆。(筆者撮影)

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