日本の未来に魚はあるか?―持続可能な水産資源管理に向けて第18回  地域漁業と漁村における人のシステム

2019年09月17日グローバルネット2019年9月号

国立研究開発法人水産研究・教育機構中央水産研究所 
経営経済研究センター主幹研究員
三木 奈都子(みき なつこ)

●水産政策の改革の主要な変化点と評価

2018年6月に水産政策の改革が示され(水産庁HP:アクセス確認2018 年8 月28 日)、同年12月に漁業法が改正された。この一連の水産政策の改革で強調されたのは、資源管理方策へのIQ(個別割当制度)導入や企業の参入促進、効率的で生産性の高い漁業の推進等であった。

日本の漁業に対して何か手を打たなければという危機感は、漁業者を含む多くの人の間で共有されてきた。しかしながら、今回の改革は規制改革会議での議論を下敷きにした企業参入や効率化が前面に出されたものであり、漁業が持つ特性を生かす長期的な視点が欠落したものではなかっただろうか。これまで漁業が担ってきたのは、産業として利益を追求することだけだったわけではない。安定的な食料生産はもちろんのこと、環境保全や地域社会での人の暮らしの安定も含まれていたはずである。しかしながら、今回の水産政策の改革には、地域社会へのまなざしはほとんど感じられない。また、そこで暮らす漁業者への説明も十分に果たしていない。

●漁業や漁業者、漁協に対する批判

ときどき水産政策の改革等がマスコミに取り上げられるが、その際、漁業者や漁業協同組合(漁協)の実態が一般の人に、誤解されていると感じることが多い。第一に漁業者は水産資源の「科学的根拠」を理解できない、水産物を捕り過ぎる悪者なのか、第二に漁業は遅れた産業なのか、第三に漁協は悪徳組織なのか等である。いまや漁業者は少数で、多くの人、とくに都市住民は日常的に彼らと接することがほとんどなく、その実像が伝わりにくいためだろうか。

(1)漁業者の漁獲活動と「科学的根拠」

資源状況の回復に異を唱える人はいない。しかし、漁業者にとって水産資源と経営は、必要であり、そのバランスが常に課題となる。一方で、環境や資源を重視する人の中には、そこにある漁業者の営みを十分見ない人もいるように思われる。第一次産業の中でも、漁業は水産資源の種類や量、漁場が変動し、とくに自然に影響されやすい。そのため、漁業者は機器を導入し自身でそれらの把握に努めたり、TAC(漁獲可能量)が導入されて以降、研究が進んできた資源データを公的機関と連携して漁協が積極的に入手したりして、地域の漁獲活動を調整するようにもなってきている。

しかしながら、水産資源の「科学的根拠」はまだ決定版ではない。水産資源研究者の間でも議論は続いている。

そのような状況ながら、目の前にある「科学的根拠」を絶対視し、それを守らない漁業者はけしからんとする人が少なくない。日本の漁獲量のピーク時から現在までの減少もすべて漁業者の捕り過ぎが主な原因であると、乱暴な説明をしている短時間のテレビ番組を見て驚愕したこともある。複雑で未解明な部分が多い海のメカニズムを説明しようとするとどうしても長くなる、あるいは調べる作業が面倒なため、説明が省略されたり誰かの受け売りになりがちなことも理解する。しかしながら、漁業者は無知蒙昧で強欲であるとされると、そこまで漁業者に罪を負わせるかと非常に残念な気持ちになる。

(2)地域の暮らしと漁業

地域漁業の担い手の多くは、共有資源を利用する漁業に従事しつつ、その土地に張り付いて生活してきた。そこで重要なのは、効率化よりも収入の安定と人間関係の安定である。わかりやすい例は、素潜り漁業者である。アクアラングを用いれば、省人化と労働負荷の軽減を図ることも可能であるのに、ウエットスーツも導入せず漁業者が素潜り漁を続ける漁村も少なくない。これは主には漁獲物の平等主義的配分を目指し、かつ漁獲圧を高めないための工夫である。つまり、多数の漁業者が磯根資源を利用したい場合、その機会をなるべく平等に設定して肉体条件や経験から形成される各人の実力に応じた結果を受け入れやすくし、ねたみを発生しにくくしている。これらのルールは漁協を中心に資源の状況や経験知により形作られ、地域の資源と人の状況の変化に応じて頻繁に手直しされる。他にも、機器導入による効率化よりも人の手による漁業作業をあえて残し、地域内の小さな雇用を維持しようとする漁村も多い(金子貴臣・廣田将仁「ホタテガイ養殖業の協業化導入にかかる諸条件に関する考察」『北日本漁業』第41 号,pp51-64,2013 年)

小規模漁業者は、ある漁業が不漁でもすぐには漁業をやめない。他の漁業種類を組み合わせたり、他の仕事を組み合わせる多就業でなんとかしのぎ、地域での暮らしを継続させようとする。まさに生業である。沿岸漁業が効率性だけで動かないのは、漁業や漁業者が遅れているためだけではない。地域での暮らしの安定を求めるためである。一方で、企業はもうからなければその土地から去って行く。地域漁業や地域の安定性や継続に対する責任は負わない。これが単に地域からの企業の撤退だけで済めば良いが、いったん地域の人のシステムや漁業秩序が破壊されると、その再生はなかなか困難である。

IQやITQ(譲渡性個別割当)がスムーズに導入されていると思われがちな欧州連合(EU)でも、大規模漁業者がITQにより漁業の権利を集積したために、消滅の危機に瀕している小規模漁業地区からの反論やそれに抗していこうとする動きも示されている(副島久実「ノルウェー北部の小さな漁村より」、うみ・ひと・くらしフォーラム・東京水産振興会『うみ・ひと・くらし通信』Vol.12,2018 年)

(3)漁協の役割

漁協批判は農協批判に続くものであり、とくに漁協は企業受け入れの参入障壁として批判の的となっている。しかしながら、農協と異なり漁協が担う漁業権管理事業では、漁協は上記のような地域漁業と漁村における人のシステムの調整を主体的に担い、そのもとで企業も受け入れてきた。特筆すべきは、少なくない数の漁協が組合員世帯の世帯員の人数や性・年齢を把握し、必要所得や労働力を勘案しきめ細かく漁業の組み合わせや養殖漁場の配分を調整してきたことである。それは表立って評価されてきてはいない。

●沿岸漁業と漁村における人のシステム

漁村における漁業者の暮らしは、ある意味、自然環境に即した人間の生態である。漁協や漁業者は更新される「科学的根拠」を取り入れつつ、内発的に、また経験知的に形成されてきた沿岸漁業と漁村における人のシステムを調整してきた。この人のシステムが漁業者の漁獲欲を抑制し、漁業者間の調整や地域社会の安定を図ってきた。これがいったん崩れれば、地域漁業と漁村の継続が困難になるといっても過言ではない。それこそ企業参入を進めようとする現行の水産政策においては望むところかと、うがった見方もしてしまう。

都市に暮らしつつ、つまみ食い的に漁村を訪問する身からすると、労働がきつく経済的に不安定で、しがらみも多い地域で暮らし続けている漁業者たちはそれだけで尊敬に値する。もちろん、漁業者全員が良い人ではない。日々、己の漁獲欲とぶつかりながら、仲間との関係や自身が生き延びていくことを考えてそれを収めていく。

少しでも漁業現場に身を置き漁業者の実態を理解した上で、沿岸漁業や漁業者を批判(評価)してほしい。もちろん、漁業者側も理解してもらうための努力が必要である。

●日本の未来に魚はあるか?

日本沿岸の水産資源が回復すれば、日本の魚食が残るのだろうか。いや、そう単純なものでもない。日本沿岸の水産資源が戻っても、地域社会と小規模漁業が衰退し大量少種の漁獲を狙う効率的な大規模漁業ばかりになってしまえば、少量多種の水産物を十分に利用できないかもしれない。あるいは世界の需要や人件費・物流のコストの観点から国産水産物が盛んに輸出され、反対に日本に季節感のない大量・低質・低コストの世界の魚が寄せ集められるかもしれない。

今年5月に、規制改革会議の第2次水産業改革委員会がさらに圧力を高めた新たな提言を発表した。漁業に関わる人が形作る漁業と地域社会の豊かさや継続性、広がり、多様性についても思いをはせつつ、あらためて漁業を評価していただきたい。

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