地域から世界をみつめる地域の自立的発展と学び ~奄美群島の小さな集落から問う

2022年01月17日グローバルネット2022年1月号

鹿児島大学 法文学部 准教授 
小栗 有子(おぐり ゆうこ)

 1992年の「国連環境開発会議(地球サミット)」で採択された、持続可能な開発についての行動計画「アジェンダ21」に地域社会主導の取り組みの重要性が盛り込まれてから、今年で30年。そこで、今年最初の特集は「地域から世界を見つめる」というテーマを掲げ、地域市民である私たちが地球規模の問題に立ち向かうため、「地域を知り、地域で学ぶ」ことについて考えます。
 昨年、公式確認から65年を経た水俣病について、理解をさらに深め、私たちが今後考えるべきことを探るため、現地で関係者に取材しました。さらに、地域の環境について学び、失ってしまった自然に対する感性を取り戻すことが重要だと唱える「鹿児島環境学宣言」や、奄美群島での自立的発展に向けた取り組みから、今後のより良い社会・環境のために、私たちは地域社会から何を学び、どのような価値観を持ち行動を変革していくべきか、考えます。

 

環境教育の新たな姿を求めて

過去の暮らしに環境教育の新たな姿を求める研究を鹿児島県・奄美をフィールドに始めて12年になる。その過程で、一つわかったことがある。それは、奄美の人にとっての自然は、生命を営む基盤としての自然であり、それは個人で所有・支配する対象ではなく「共同的な自然」(真木悠介)だということだ。同時に自然は、「協同自助(人びとの自治と相互扶助)」(柄谷行人)の実践の場であった。しかもこの自然認識は、知識として教えられたものではなく、身体を通して実践的に獲得したものである。

田植え、キビ刈り、黒糖づくり、屋根の葺き替え、追い込み漁、豊年祭などの行事のすべてが自然と直接関わる営みであり、その関わりは共同作業(地元の言葉で「ユイワク」)によるものだった。つまり、集団で人と自然が関わるため「人と人」「人と自然」の関係は切り離せないものだったのだ。

目に見えない精神世界との関係も豊かで、神や先祖も身近な存在として大切にされてきた。このような独特の世界観や暮らしが形成された背景には、奄美群島の固有の歴史と自然・地理環境が密接に関わっている。特に奄美大島では、ユイワクの多くが失われた今も、集落行事(祭り)は旧暦で行われ、 季節の動植物や朔望(月の満ち欠け)・干潮といった自然現象との関わりが日常的に残っている。

しかし、そんな暮らしの継承も今大きな岐路に立つ。少子高齢化の影響で古老が集落からいなくなり、ユイワクを通して先人たちの知恵を受け継ぐ機会が急減している。奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島の4島が世界自然遺産に登録された今、このチャンスをいかに地域の自立的発展につなげられるかが問われている。

地域の「自立的発展」のためにTAMASUの取り組み

筆者は、発展、もしくは開発の主体を明確にするために「自立的発展」という表現を使う。近年は「持続可能な開発」という表現の方が市民権を得ているかもしれない。ただ、この玉虫色の言葉には、環境保全、経済成長、公平性など相反する価値観が同居する。にもかかわらず、主体の問題、すなわち、開発を誰のためにどう行い、それを誰が決めるのかという問題は不問に付されることが多い。

持続可能な開発の理念を現実に落とし込むには、対立する価値観の整序とそのための合意形成の問題をクリアにする必要がある。合意形成とは、本来人びとの学びの過程である。だが、そのために必要な時間や機会が十分保障されることはまれだ。その結果、既存の権力構造の中で現実が動いていくことも少なくない。

ところが、これらの問題を軽やかに突き抜けてしまった事例がある。奄美大島の中部、西海岸に面した人口100名弱の大和村国直くになお集落である。

防波堤や護岸のない白い砂浜の海岸と大人が一人通れるほどのフクギ並木のある、昔と変わらない集落景観が他の集落との違いだ。いずれも集落の先人たちが、公共事業によって得られる利便性や安全性ではなく、集落が大切にしてきた価値を選択した結果である。

この集落に生まれた中村修氏は、2015年に集落の住民全員を社員にしてNPO法人TAMASUを設立した。TAMASUは、奄美大島に伝わる方言「たます」のことで利益の共有と均等配分を意味する。中村氏が法人の設立趣旨(囲み)の中で述べているように、島では天から授かったものは、皆で大切に分け合い、皆で守っていくという精神が息づいてきた。それが「たます分け」という言葉に込められている。

この団体の主な事業は、「国直集落まるごと体験交流」である。目の前にある自然(海辺と里山)との関わりを大切にしながら集落の文化と集落民との交流を観光客に体験してもらう。つまり、「自然」「文化」「コミュニティ」が支える集落民の日頃の生活を観光客に分け与えようとするものだ。旧暦の正月に作る「うわんふね」(塩豚とツワブキ煮込み料理)体験では、ツワブキを山に採りに行き、ゆでて皆で割くことから始まる。2月にはタンカンの収穫、選果、加工、6月にはスモモの収穫など季節ごとの暮らし丸ごとが体験メニューとなる。農家や漁業者など集落民との交流が大切にされている。

ただし、集落の「自然」「文化」「コミュニティ」を守ることと利用することの間には、摩擦が生じる。ちょうど持続可能な開発に潜む「環境保全」「経済成長」「公平性」の価値の対立のようだ。問題の現実的な現れ方は、観光客の増加による集落民の生活への悪影響だ。TAMASUでは、この問題に対処するため集落民へのアンケート調査やワークショップによる話し合いを重ね、「毎月第3日曜は集落美化の日」「集落内は時速20㎞」「飲酒後の遊泳禁止」など集落独自のルール(7項目)を作り上げた。また、「大和村集落まるごと体験協議会」も立ち上げ、大和村全11集落の特色を生かし、村が一体となって外から来る客に魅力的で感動的な体験を提供するための体制づくりが始まっている。

NPO法人TAMASUの設立趣旨(一部抜粋)

〈「たます」とは〉
 たますとは、奄美大島に伝わる方言で、利益の共有と均等配分を意味する言葉です。奄美大島では、漁労や狩猟で得た獲物を神に捧げ感謝した後、関係者全員で平等に配分する「たます分け」と呼ばれる習わしがあります。たます分けには、「インだます(犬の分け前)」や「見だます(見物人の分け前)」など、時として当事者以外に配分することさえあります。奄美の先人たちが獲得した獲物を惜しみなく配分したのは、「自然の恵みは神からの授かりものであり、その恩恵は全員で等しく享受しなければならない」という世界観があります。
 近年、奄美大島では、生活環境の変化や人的要因により良好な自然環境が失われつつあります。また、協力して獲物を得る漁労や狩猟、農作業のユイワク(共同作業)の機会が減少し、相互扶助の精神が薄れつつあるのは大変残念でなりません。

〈共に守り分かち合う心〉
 私たちの目指すカタチは観光を利用した健全な地域をつくることです。
 施設整備や新たなサービスの提供により観光客が増加し、地域が経済的に潤ったとしても、自然破壊や住環境の悪化、住民ネットワークの弱体化があっては本末転倒です。事業を計画するに当たっては雇用機会や個人所得といった経済的指標のみで判断することなく、地域住民の心身の健康や、家族や地域住民との関係性など総合的な住民幸福度に目を向け慎重に行動します。
 集落ぐるみで取り組む体験交流事業が『たます~島の恵みを共に守り分かち合う心~』を育むものと信じています。

奄美の小さな集落から世界を見つめる

奄美群島の小さな集落の実践は、世界の問題とつながっている。世界自然遺産登録に商機を見込んで、今後島外から大小さまざまな資本が投下され、島の「自然」「文化」を資源に新たな商品やサービスが創出されるだろう。その過程で生じる資源の過剰利用や枯渇、住環境の悪化や住民ネットワークの弱体化などの負の側面をいかにコントロールしていけるのか。その知恵が、奄美群島の小さな集落で発見された。

TAMASUの活動のユニークさは、島の先人たちがかつて行っていた「たます分け」の考え方を現代によみがえらせたことだ。「島の恵みを共に守り分かち合う心」は、集落の「自然」「文化」「コミュニティ」を守り、その恩恵を皆が平等にあずかるという理念として生きている。実際にやっていることは、観光による悪影響を最小限に抑え、波及効果を最大限にすることだ。

TAMASUの活動で一貫していることは、集落の皆で考え、自分たちの手でつくることだ。国直集落の人口は100名弱で定常しており、4分の1がIターン者だ。出身地に関係なく活動の中心を担い、守るべき大切なものはしまい込むのではなく遊びながら保全する。

一見矛盾する活用と保全は、集落の自然と人に対する深い理解とつながり、つまり、自然を読み、人を気遣える感性の働きと行動力が可能にさせている。身体に染み込んだこれらの力は、一昼夜では身に付かない。

翌日の天気を読むついでにビールを片手に毎日見る夕日と語らい、毎年巡る伝統行事の豊年祭を執り行うための集落民総出の準備作業。日々の生活実践に埋め込まれた人の集団的な交わりと自然との付き合いの中で人は学び、感性も磨かれていくのだろう。

参考文献:
真木悠介、2013、『気流の鳴る音』ちくま学芸文庫
柄谷行人、2014、『遊動論 柳田国男と山人』文春新書。

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