フォーラム随想名前の記憶

2023年04月14日グローバルネット2023年4月号

(一財)地球・人間環境フォーラム 理事長
炭谷 茂(すみたに しげる)

 「あの人の名前は何だったか」
 こんな会話が、私と同じ年頃の人との間で頻繁に交わされる。人物はわかるけれども、名前が思い出せない。1時間くらい後に突然浮かんでくる。
 話していて相手の名前が思い出せないときは、相手に失礼なので、悟られないようにごまかすが、相手は気が付いている。「それだけの関係か」と落胆している。
 D・カーネギーの『人を動かす』(創元社)は、時代を超えて世界的に読まれている。同書で人間関係を築くために重要なポイントとして強調されていることは、相手の名前を覚え、会話の中で名前を呼ぶことだと述べている。
 名前がすぐに思い出せないのは、典型的な老化現象である。日常生活では支障はないが、講演のときはまずい。あらかじめ名前、地名、数字、キーワードなどはメモを用意して臨まないと、不安になる。実際はほとんど見る必要がないが、持っているだけで安心で、お守りのようなものである。
 忘れない名前もある。長嶋や金田という名前であれば、往時の名選手と同じだと覚えておけば、忘れない。永谷は、「永谷園の永谷さん」と30年前に記憶したが、本人と会うことは、その後一度もなかったが、忘れていない。
 名前や地名などの固有名詞は、普通名詞と異なり、それ自体は意味や概念を有しないので、記憶に残りにくい。だから、何かと関連付けるのは、良い方法なのだろう。

 

 暇なときに名刺つづりを時々取り出して眺めて、記憶を確かにする努力もしている。
 一枚一枚、名刺を見ながら、初めて会ったときや顔、性格などを思い出しながら名前の確認をしている。名刺の余白に会った日、用件などのメモがあると、一層鮮明な記憶になる。そう思いながらも、実際はずぼらな性格で完全には実行できていない。古い名刺を見ながら、「誰だったか」と考え込むことが多い。
 40年前からいただいた名刺は、すべて保管している。名刺の枚数は、5万を超えたのだろう。
 500枚整理できる名刺ファイルを使っているが、70冊を超えたころ、本立てに収めきれなくなった。相当に重い。そこで新たに名刺ファイルを買うのをやめ、必要性が低くなった名刺は、分類してまとめてゴムで縛って段ボール箱にしまっている。すでに段ボール箱がいっぱいになってきた。

 

 名刺を整理して保管していると、大きなメリットがある。仕事で訪問するときに、あらかじめ名刺をチェックして、双方とも覚えていなくとも、以前会ったことを告げると、両者の距離感はぐっと近くなる。
 しかし、相手は初対面だが、相手の同僚や同窓生など関係がある人を知っているときがある。「この会社に勤めていた〇〇さんと会ったことがありましてね」という会話が交わされるが、マイナスになる恐れがある。「顔が広いことを言いたいのか」と悪い印象を持たれかねない。

 

 最近の名簿は、個人情報の面で記載内容が寂しくなった。昔の名簿を大切に保管して、活用しているが、これらには、住所、電話番号、生年月日、出身地、出身校が記載されているものがある。相手の人間性をつかむのに有益な情報になる。相手を知れば、名前の記憶は鮮明になる。
 祝賀会や結婚式などの座席表も貴重な情報源である。これもすべて保管している。初対面の人と2時間ほど会食をすると、新たな人間関係が築かれる。しかし、最近は、個人情報の関係で座席表が配布されないことさえある。出席者の名前や肩書がわからないと、会話の糸口がつかめないので、苦労する。お互い名前さえもわからないまま別れなければならないことは、もったいない話である。
 名前の記憶は、人間関係の基礎である。年を重ねると、関係する人は増える一方であるが、できるだけの努力は続けていきたい。

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